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第4回|FIELD REPORT
茨城・日立エリア:日立の過去・現在・未来を探る旅 (4)
人を育て、地域と歩む――技能五輪と共創プロジェクトに見る日立の心

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第4回|松井 康真がゆく原子力最前線 〜現場×対話で読み解くエネルギーの行方〜

松井 康真氏が日立創業の地である茨城県日立市にある日立グループの拠点を巡り、日立のルーツ、原子力分野の現在の事業や研究開発の取り組み、未来へつながる人財育成や地域との共生について取材しました。その模様を4回にわたってお届けします。

茨城・日立エリアの旅の最後となる4回目は、松井 康真氏が技能五輪に挑む若手従業員の訓練を行う日立事業所教育訓練センタと日立製作所野球部を訪ねたのち、日立事業所海岸工場で人財戦略についてインタビューしました。創業当時から受け継がれてきた人を育てる文化と現在の人財育成の取り組み、スポーツを通じた地域との関係構築、日立市との共創プロジェクトなどの取材を通じ、日立と地域の未来を展望します。

技能五輪を通じた「匠」の人財育成

日立の人財育成について取材するため、松井氏は日立事業所教育訓練センタを訪れ、出迎えてくれた人財部門の佐藤 秀之部長代理より、まず概要についての説明を受けた。

「この訓練センタの役割の一つは、『技能五輪』の訓練を通じて、日立のモノづくりを支える人財や匠の人財を育成することです。かつては日立事業所が手がけていたエネルギー関連の事業部門から多くの訓練生を受け入れていましたが、事業の再編に伴って現在は原子力部門に限り、少数精鋭の若手人財が訓練を行っています」

技能五輪には国内大会と国際大会がある。国内大会の「技能五輪全国大会」は毎年開催され、若手技能者(原則23歳以下)が、職種ごとの高度な技能を競い合う。職種は工業系から建築系、情報系、理美容、料理、サービスなど多岐に渡り、2025年10月に開催された「第63回技能五輪全国大会」では42職種1,025名で競技が実施された。それぞれ実務に即した課題を通じて、正確性・品質・スピード・創造性・安全性などを総合的に評価される。
この国内大会は、2年に1度開催される「技能五輪国際大会(WorldSkills Competitions)」への代表選考の場としての役割も兼ねており、産業の未来を支える人財の育成と、技能の社会的価値を広く伝えることを目的に開催されている。

日立事業所教育訓練センタ前にて(左)と佐藤 秀之部長代理(右)

日立製作所をはじめとする日立グループは、技能五輪全国大会に1963年の初開催から毎年出場し、数々のメダルを獲得してきた。直近の第63回大会ではグループ全体から10職種44名の選手が参加し、銀メダル3個、銅メダル7個、敢闘賞8件、合計18の賞を獲得している。技能五輪国際大会には1963 年のアイルランド・ダブリン大会から出場を続けており、2024年に行われた第47回大会(フランス・リヨン)までの累計で金賞39、銀賞21、銅賞22個のメダルを獲得している。

「技能五輪に向けてはグループ各社や他の事業所でそれぞれ選手を育てており、当センタでは現在、原子力の製造現場に不可欠な電気溶接、構造物鉄工、旋盤、設計現場に直結する機械製図の計4職種で選手を育成しています。2017年には全国大会と同一仕様の訓練環境を整備し、本番と同じ条件で訓練できる体制を整えました」と話す佐藤部長代理。大会では工場と異なり限られたスペースで作業しなければならない。練習環境との違いで選手が動揺しないようにとの配慮からだ。

日立工業専修学校に受け継がれる人を育てる伝統

日立事業所の選手は現在、全員が日立工業専修学校の出身者から選ばれている。日立工業専修学校は通称「日専校(にっせんこう)」と呼ばれる、日立製作所の企業内学校だ。3年全日制、全寮制の高等専修学校だが、広域通信制の科学技術学園高等学校日立と連携しているため高等学校の卒業資格を得られる。学科は電気・機械・溶接の3科があり、それぞれの学科で国家技能検定の資格取得をめざして学ぶ。卒業生は日立のモノづくり現場で即戦力として活躍している。

日専校の源流は、1910年の日立製作所創業と当時に創業者・小平 浪平が設立した「徒弟養成所」にある。徒弟養成所は全寮制で食事や衣服なども会社が支給、午前中は授業を受け、午後は、のちに日立研究所の初代所長となる馬場 粂夫が中心となって指導する工場実習を行った。日立製作所が株式会社として日立鉱山から独立した翌年の1921年には、徒弟養成所の上級課程として、馬場を校長とする日立工手学校を設立。生徒は、昼間は工場で働き、夕方から授業を受けていた。

徒弟養成所の授業風景(1917年頃)
小平が教育に力を注いだのは、「事業の発展は人にあり」という信念に基づく。現場の中核を担い、やがては組織を率いていける人財を育てるため、技能の習得だけでなく人格の修養にもつながる授業が行われていた。徒弟養成所と日立工手学校は1928年に日立工業専修学校となった。製造業の勃興期であった当時、実践的な教育を受けた日専校の卒業生は他社から羨まれ、引き抜かれることも少なくなかったが、小平は日本の有能な技術者、工業人の育成を目的とすればよいと、意に介さなかったという。小平の教育観は日立の技術者養成の枠を越えた、視野の広いものであったことがうかがえる。

技能五輪を通じて継承される日立のモノづくり文化

日立の人財育成を担う日専校には、毎年約70名前後が入学し、そのうち30名前後が卒業後に技能五輪に挑戦している。「入学段階から技能五輪を視野に入れている者もいれば、学校で競技を知り、挑戦を決める者もいます。訓練期間は国際大会に出場するとなると3〜4年におよび、その間は技能五輪の訓練のみに集中します。各職種に配置される訓練指導員も技能五輪経験者から選抜され、訓練期間中は製造の現場業務を離れて指導に専念する体制をとっています」と佐藤部長代理は話す。指導では、日立の製造現場を見据えて選手一人ひとりの目標レベルと現在地を可視化し、それぞれのモチベーションを高めながら技量向上をめざす。

「現場系の職種ですと町工場などにも優秀な人はいそうですが、出場選手はやはり大手企業の人が多いのですか」と松井氏が問うと、「職種にもよりますが、電気溶接などは練習用の材料費の負担も小さくありませんから、参加者の大半は大手企業の従業員が占めています」と佐藤部長代理。また、旋盤は参加者も多く、全国大会に出場するまでのハードルも高いため、上位入賞できる選手を育てるには豊富な練習量も必要となる。

「やはり人員面でも資金面でも余裕がなければ難しいというのが実情なのでしょうけれど、そこまでして技能五輪に出場を続けるのは、やはり必要だからなのですね」という松井氏の指摘に、佐藤部長代理は深く頷く。

「日立が担う原子力分野の現場技能は極めて高い水準にあり、技能五輪国際大会の金メダリストでさえ、現場に入ると先輩技術者の技能の高さに驚いたと話すぐらいです。技能五輪への挑戦を通して集中的な特訓を行い、業務のスタート時点のレベルを上げておかないと、重要部品の製造を任せられる匠の水準には到達できません」

原子力のモノづくりではロボットが導入されている部分もあるが、やはり最終品質を左右する工程では依然として人の手と経験が不可欠だ。

「だからこそ、体系的な教育と長期的視点での人財育成が欠かせないのです。技能五輪は単なる競技ではなく人財育成の場です。このセンタは訓練を通じて、技術だけでなく日立のモノづくり文化を受け継ぐ場でもあるのです」と佐藤部長代理は結んだ。
インタビューを終えた松井氏は、指導員の案内で選手たちの訓練の様子を見学。課題作品の製作・加工方法などについて熱心に質問を投げかけていた。

技能五輪に向けて構造物鉄工の訓練に励む選手。構造物鉄工は、さまざまな形状の鋼材を組み合わせて構造物をつくる技能。切断、曲げ加工、組み立てなどの高度な加工や接合技術を用いる。競技では完成品の高い寸法精度、切断面・溶接箇所の仕上げの技術、スライド部の滑らかさ、全体としての美しさなどが要求される。

電気溶接の訓練に集中する選手。電気溶接は金属同士を電気アーク放電によって生じる約5千〜2万℃の高熱を利用して加熱・溶融して接合する技術。さまざまな方法があり、競技では指示された施工法を正しく読み取る図面読解力をはじめ、溶接の仕上がりの美しさ、寸法の精度、X線による精密検査、作品の強度など、溶接に関するあらゆる技能や技術、知識が問われる。

旋盤の訓練を行う選手と、第63回全国大会の課題作品。旋盤とは、加工する材料を高速で回転させながらバイト(刃物)をあてて削り、精密な部品をつくる技能。技能五輪全国大会で行われるのは作業者が手動で操作する基本的な汎用旋盤で、支給された素材を製品仕様どおりに加工する速さ、0.01ミリメートル以下の高い精度、できばえのよさなどが要求される。

指導員から競技の特徴や難しさについて説明を受ける。指導員はベテラン技術者ではなく、技能五輪の選手経験のある若手から選抜している。ベテランになると製造現場を離れることが難しいという事情もあるが、選手と年齢が近いとコミュニケーションがとりやすく、指導経験が現場での後進の育成にも役立つといった利点がある。

技能五輪の訓練風景を取材した松井氏は、納得した様子で話す。

「失敗が許されない原子力という分野の特性上、技能教育もイチからOJT(On the Job Training)でというわけにはいかないのでしょう。現場に入る前に高いレベルの技能を身につけておく必要があり、だからこそ技能五輪とそのための特訓が必要なのだと。大企業だから技能五輪に出られるというより、責任が伴う製品を製造している大企業だからこそ、技能の頂点に挑まなければいけないということですね。技能五輪を軸とした育成は、単に個人のスキルアップや栄誉をめざすものではなく、モノづくりの信頼性を支え、次世代へつなぐ基盤なのだということがわかりました」

日立製作所野球部に見る企業スポーツと地域の絆

続いて松井氏は、企業スポーツを通じた地域貢献の取り組みとして、教育訓練センタの向かいにある日立製作所野球部のホームグラウンド、日立製作所会瀬球場へ足を運んだ。

1917年に創部された日立製作所野球部は、地域に根ざした社会人野球の企業チームの名門だ。これまで都市対抗野球大会に41回(2025年時点)出場しており、最高成績は2016年大会の準優勝。チームカラーのオレンジを身にまとい、スタンドを埋めつくす大応援団は大会の名物となっている。9月に行われた第96回都市対抗野球大会での日立の試合を観戦した松井氏は「一体感のある応援に驚きました」と話す。

都市対抗野球大会は社会人野球の2大タイトルの一つで、第1回大会はプロ野球が始まる以前の1927年に行われている。各球団が特定の都市を本拠地とするMLB(Major League Baseball)の制度を参考に、各都市を代表するチームが地域の誇りを背負って競い合う野球大会として始まった。その伝統は今に受け継がれており、出場チーム名には地域の代表として都市名が併記され、ユニフォームの右袖には所属する都市の都市町章をつける決まりとなっている。試合前の始球式はOBや企業関係者のほか地元自治体の首長や地域にゆかりのある著名人が務めることも多い。

社会人野球の企業チームは、近年、増加傾向にある。日本野球連盟に加盟する企業チームは、最盛期には200を超えていたが、バブル景気の崩壊以降は減少の一途を辿り、2010年には72まで落ち込んだ。それがここ数年で増加に転じ、2025年2月末時点で92チームとなった。人財獲得、社員エンゲージメント向上、そして企業スポーツによる地域貢献や地域共生の観点から社会人野球が見直されているのだという。

日立製作所野球部でも、選手たちが日立市内のスポーツ少年団を対象とした少年野球教室や、日立市内の保育園・幼稚園でのティーボール(投手のいない、野球に近い競技)教室などを行い、地域の体育振興に貢献している。
テレビ局のアナウンサー時代にプロ野球中継を数多く担当し、野球愛あふれる実況で知られた松井氏は、野球部の練習風景を眺めながら林 治郎監督としばし歓談。「練習やオープン戦にも地元のファンがいらして応援してくれるそうです。日立製作所野球部は、企業の名前を背負っているだけでなく、地元日立市との強い結びつきを持ち、日立愛を体現する存在でもあるのでしょうね」と、社会人野球の意義を再確認していた。

「技能五輪をめざす若者たちと、企業スポーツとして野球の競技力向上をめざす選手たちが、隣り合った場所でそれぞれ練習に打ち込んでいるというのは素晴らしいことですね。日立という企業の懐の深さと、人を育てることを大切にする文化にふれることができたように感じています」(松井氏)

原子力分野で生まれる多様な専門人財のシナジー

茨城・日立エリア取材の締めくくりに、松井氏は日立事業所海岸工場へ向かい、大西 康之日立事業所副事業所長にインタビュー。日立製作所 人財統括本部 エネルギーCHRO(Chief Human Resource Officer)を兼務する大西副事業所長に、原子力分野の人財戦略と地域との共生について聞いた。

大西 康之 日立事業所副事業所長

まず人財獲得に関して松井氏は、東日本大震災直後、母校の東京工業大学(現東京科学大学)では原子力を志す学生が減少したものの、逆に「だからこそ原子力にいく」という強い意志を持った学生が何人も現われたと話す。「研究開発を志望する学生にも同様の傾向があったそうですが、事業部門全体でもそうでしたか」と問いかけると、大西副事業所長は頷く。

「使命感をもって原子力を学び、当社に入る者は以前からおりましたが、そうした人財が震災前と比べると目立つようになったことは実感しています」

最近の採用においては、原子力を専門に学んできた人財は全体の2割に満たず、機械や電気など、ほかの技術系人財のほうが多くを占めるという。

「実は原子力以外の技術を学んできた人財が活躍できる仕事は多くあり、そのことは組織としても強みであると考えています。やはり多様性の高い組織のほうが強じんで、創造性に富みます。原子力を学んできた人財と、原子力以外の分野に専門性を持つ人財のシナジーがうまく発揮できている状況です。キャリア採用者、女性、外国人財等も含め、多様な価値観をイノベーションやビジネス機会の創出につなげていきたいと考えています」

原子力分野におけるナレッジマネジメントと現場経験(OJT)による技術継承

震災後、国内では原子力発電所の新規建設は停止した状況が続いてきた。「私の立場でたとえると、厳しいアナウンサー採用試験を突破して入社したのに、『テレビ画面には一切出られない、ひたすら基礎練習を続けなさい』と言われ、それが半年や1年ならまだしも、先の見えない5年、10年では心が折れてしまいます。原子力分野に携わる従業員のモチベーションをどのようにして保ってきたのでしょうか」と松井氏が問うと、大西副事業所長は次のように答える。

「やはりこの十数年は各人が思い描く成長の実感というものが得にくい状況が続いてきたと思います。一方で、再稼働という目標を得たことで、『新規制基準に対応して再稼働を果たし、社会に電力を届ける』ことを原子力分野における新たな使命とし、士気を高めてきました。再稼働に向けてはベテラン人財に支えられながら、若手も経験を積んでいるところです。さらに、国内では建設再開の動き、海外では小型軽水炉の新設プロジェクトが進み次の景色が見えてきたことで、従業員のモチベーションは確実に上がっています」

モチベーションの保持とともに技術伝承も課題となってきたが、日立の原子力分野では2017年度よりナレッジマネジメントの導入を進めている。国内外の先進事例を参考に、組織的な知識管理の枠組みとして、まず技術領域ごとに、技術の保有者、継承の優先度・方法・期限などを明確化した「ナレッジマップ」を作成。熟練者の暗黙知を可視化し、若手への効率的な継承を図っている。この活動をまずは設計部門から始め、プロジェクト部門、品証部門、現場と全社的に拡大していき、技術の持続可能性を確保することをめざしている。

「属人的なナレッジの可視化はとても重要です。ただ、それだけではやはり限界がありますから、再稼働や建設再開の案件などにできるだけ若手を配置し、現場経験を積むことやOJTでの技能伝承にも努めています」と大西副事業所長は強調する。
そうした地道な取り組みを続けつつ、今後の成長に向けて原子力分野を支える質の高い人財を増やすとともに、適所適財でそれぞれのスキルや得意な能力を発揮できる環境をつくっていきたいという。

日立市との連携を深め、広げる次世代未来都市共創プロジェクト

続いて松井氏が日立グループと日立市との関係について訊ねると、「ここ日立市は創業の地であり、主力事業所があり、いわば企業城下町として地域と共に発展してきたという点から考えても、われわれにとって特別な地であると言えます。それは日立市民の皆さまから見てもそうだと思います」と大西副事業所長は話す。日立製作所は長年にわたって、日立市やその周辺で暮らす人々から「日製」という略称で呼ばれてきた。

「地名の日立と区別するためですが、それだけ日立グループが地域社会に深く浸透している証しでしょう。近年はグループ・事業再編などで日立市での『日製』の事業は変化してきているものの、それでも『日製』は特別視されていると、この地に着任したときに感じました」

その関係性を土台に、日立グループと日立市は2023年12月に「デジタルを活用した次世代未来都市(スマートシティ)実現に向けた包括連携協定」を締結、翌2024年4月から「次世代未来都市共創プロジェクト」を開始した。このプロジェクトは「グリーン産業都市」、「デジタル健康・医療・介護」、「公共交通のスマート化」の三つを柱として日立市を活性化し、誇れるまち、安心・安全で住みたくなるまちの実現をめざすものだ。
共創プロジェクトについて、大西副事業所長は次のように説明する。

「われわれは長年ここ日立市で、製品づくりを通じて地域の発展に貢献をしてきました。それを一歩進め、地域の課題解決という大きな目標を共有し、その達成にわれわれの持つ力、企業としての知見を役立てていただくという関係を築いていきたいと考えています。日立市の人口は2026年1月1日時点で16万人弱。近年は年間2,500人ほどのペースで減少しています。自然減だけでなく若者の転出超過も多く、居住地としての魅力をいかに創出するかが課題です。同様の課題を抱えた地域は日立市以外にも多くあり、日立市と日立が課題解決のモデルケースを示し、横展開していきたいという思いでプロジェクトを推進しています」

現在、この共創プロジェクトには専任、兼任を含め100名を超える人財が日立から参加している。市役所内にも十数名の市役所職員と日立従業員が常駐し、「同床執務」の体制で、自治体と企業が日常的に連携しながら地域の住民や企業と共に未来のまちづくりに挑戦している。

日立市役所の庁舎前にて

企業も地域も支えているのは「人」である

日立市との共創プロジェクトについて聞いた松井氏は、今回、日立グループの製造や研究開発、人財育成の現場を取材して、特に若い技術者や研究者たちの生き生きとした姿が印象に残ったと話す。

「技能を磨くことにひたすら打ち込む若者がいる一方で、メタバースやロボットの先端技術を楽しげに紹介してくれる若手がいる。そうした姿からは、やはり企業を支えているのは 『人』なのだと強く感じました。それは地域社会も同じですね」

その言葉に大西副事業所長は、「技術の未来も、企業の未来も、地域の未来も、結局つくるのは人財ですから」と頷く。そのために、人財獲得においても慣例や慣習にとらわれず、キャリア採用の拡大や新たな人財獲得のチャネル開拓に取り組んでいると話す。そして、「人財獲得競争が激化する中で、この会社で働きたいと思ってもらえる魅力を創出していかなければなりません。そう考えると、まちづくりも企業づくりも根本は同じです。地域と共に新たな発展の道を切りひらいていくためにも、人を集めること、人を育てること、人を惹きつけることに引き続き力を入れていきます」と結んだ。

松井氏が語る、コミュニケーション力と未来への展望

松井氏は、人を育てる過程では、ぜひコミュニケーション力を磨くことも重視してほしいと要望し、次のように助言する。

「特に理系人財や技術者にとって、コミュニケーション力が大切であるというのが私の信念の一つです。国内外の多様な人財が活躍できる場をつくるには、人と対話し、リーダーシップのとれる人財が必要です。技術や知識を持っているだけでなく、それらを正しく伝え、異なる文化や価値観の相手と意思疎通し、相互理解を深める力を身につけることが、道を切りひらくことにつながるはずです」

そして、最後に茨城・日立エリアの旅を終えた所感を次のように語った。

「今回、日立製作所の創業からの歴史を辿ってきたわけですが、創業者の技術や品質にかける思い、人を育てる文化や人財育成への思想、社会に貢献する志が1世紀以上にわたって受け継がれていることに、あらためて感銘を受けました。しかも単に伝統を踏襲するということではなく、中身を時代に合わせてアップデートしていますよね。それが企業としての存続と発展の要因の一つなのだと思いますし、これからもその不易流行の精神で未来をひらいていくのだろうと期待が持てました。日立市との取り組みも、いわゆる企業城下町ではない、企業と地域との新しい共生、発展のあり方を示すものとして注目したいと思います」

海岸工場の壁には日立創業の精神「和・誠・開拓者精神」が掲げられている

松井 康真氏

松井 康真 氏
フリーアナウンサー・ジャーナリスト

富山県南砺市(井波町)出身。富山県立高岡高校卒業。東京工業大学(現 東京科学大学)工学部化学工学科卒業。1986年 テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「ミュージックステーション」でタモリさんと組んでMC、「ニュースステーション」ではスポーツキャスターを担当、「ステーションEYE」、「ワイドスクランブル」、「やじうまプラス」などで報道情報キャスターとして活躍。2008年 テレビ朝日アナウンサースクール「アスク」学校長。在職中の2年間の指導で全国に100人以上のアナウンサーが誕生。2011年3月の東日本大震災を契機にアナウンス部から報道局原発事故担当記者に異動。その後に宮内庁担当、気象災害担当、コメンテーターを歴任。2023年テレビ朝日退社後に個人事務所「OFFICE ユズキ」を設立。株式会社タミヤ模型史研究顧問、富山県南砺市アンバサダー、株式会社獺祭メディアアドバイザー。

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