さまざまな説がある中で、当会では、ねぶた師 故 佐藤伝蔵氏の説を推しています。
平安初期、弘仁3年(812年)、真夏の旱魃(かんばつ)続いた8月−。
突如として、咾眠(しみん)性脳炎という恐ろしいねむり病が猛威を振って流行し、
多くの人々が死んでいった時、これを祓い流すために、
ねぶたコ 流れろ (ねぶた病は遠くへ流れていってしまえ)
まめの脈コ 止まれ (まじめななかまはこの村に止まってほしい)
と囃しながらねぶた流し(ねむり病流し)をしたのが、ねぶた祭の始めと思われる。
武者の太刀は病魔を祓うことを意味し、
跳ねることは病魔をはねつける(否定する)ことを意味し、
また夜に祭りを行うことは祖霊の星を祭って災禍をなくするための意味である−。
ねぶた師 故 佐藤伝蔵 説