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脱炭素シナリオシミュレータを駆使し、地域の環境・経済・ウェルビーイングを高次元でバランスさせるべく自治体と協創する
研究の現場から
Report from Researchers

脱炭素シナリオシミュレータを駆使し、
地域の環境・経済・ウェルビーイングを
高次元でバランスさせるべく自治体と協創する

環境というテーマは「2050年」が射程に入ってきます。つまり未来の市民に向けた価値をどのように表現して、今の市民にそのシナリオをどのように伝えるかを考えなければなりません。池ヶ谷さんとのミーティングで脱炭素シナリオシミュレーターはCyber-PoCの技術ステージをグンとあげることができるかもしれない、と予感しました(森本)。脱炭素シナリオシミュレーターを利用したワークショップには市役所のさまざまな部署から参加していただき、帯広市では帯広畜産大学の学生さんにも参加していただき、住民目線からの課題を反映させることができました(池ヶ谷)。

2050年のカーボンニュートラル実現に向けて政府が舵を切る中で、自治体にも脱炭素社会の実現に向けた取り組みが求められている。日立は、日立京大ラボが2017年に開発した起こり得る未来シナリオとそのシナリオ実現時に出現する「分岐点」を生成するAIシミュレーション技術を、自治体の脱炭素化に活用する「脱炭素シナリオシミュレーター」の開発と実証を進めている。地域の課題を可視化し、近い将来の地域の姿を構想しつつ、脱炭素に向けたシナリオづくりを支援するために役立つAIシステム、と考えればよい。望む未来からバックキャスティングした時に、重要なポイントになる「分岐点」をAIでシミュレートする「脱炭素シナリオシミュレーター」の概要と戦略を、研究開発グループの森本由起子主任研究員と池ヶ谷和宏主任デザイナーに聞いた。

(2023年9月20日 公開)

ユーザーインタフェース、システムデザインの視点を得た学生時代

森本:私は工学部システム工学科、つまりコンピューターが得意な学生が多い学科の出身ですが、4年生のとき、学外からいらっしゃった先生にユーザーインタフェース(UI/UX)、つまり「人と機械の境界面をデザインする」分野があることを教えていただき、その時からユーザーインタフェースに興味を持つようになりました。学部を卒業して就職した日立では、情報系の自然言語処理技術・日本語検索の研究、つまりアルゴリズムの研究が中心だったのですが、優れた検索アルゴリズム以上に、人間が何を求めているかを考えることが重要ということに気づき、画面はどう作ればいいか、業務の中ではどう使われるのかといった上流系あるいはシステム全体そのものに研究の中心をシフトさせていきました。自然言語処理技術を基軸に、コールセンタ、社内システムなどの業務システムへの適用の研究を続け、論文をいくつか書いて博士号を取得することができました。

森本由起子(MORIMOTO Yukiko)日立製作所 研究開発グループ デザインセンタ ストラテジックデザイン部 主任研究員
森本由起子(MORIMOTO Yukiko)日立製作所 研究開発グループ デザインセンタ ストラテジックデザイン部 主任研究員

池ヶ谷:中学生のころには図形の証明問題を自分で考えて、自分で解いたりしていました。図形が数式で表現されることに面白さを感じていたんですね。その後、数学と美術を足して2で割ったら将来は何になる?と思っていたところ、親戚に工業デザイナーがいたり、高校の美術の先生が元工業デザイナーだったりしたことから、高校生の頃には将来は工業デザイナーになろうと決めていました。当時はプロダクトデザインが主流で、私もプロダクトデザインを追求するつもりでしたが、進学先の大学の先生に「プロダクトデザインの重要性は減少し、システムやサービスにデザインが求められるようになる」と言われ、衝撃を受けると同時に「これは面白そう」と確信し、同じ頃、日立が社会システムのデザインを研究していることを知り、面白そうだと思って入社しました。1年目はゴリゴリのプロダクトデザインそのものの携帯電話のデザインを担当しましたが、2年目、3年目からシステムやサービスのデザインにも少しづつ携われるようになり、2010年ころからサービスやシステムのデザイン、未来洞察*などにも取り組むと同時に顧客協創にも駆り出され、グラフィックレコーディングのデモをしたりしながら、エネルギーやモビリティなど、日立の多くの分野に携わらせてもらいました。

*未来洞察「きざしを捉える」事例

池ヶ谷和宏(IKEGAYA Kazuhiro)日立製作所 研究開発グループプラネタリーバウンダリープロジェクト主任デザイナー
池ヶ谷和宏(IKEGAYA Kazuhiro)日立製作所 研究開発グループプラネタリーバウンダリープロジェクト主任デザイナー

デザインと環境の間を取り持ちCOP26の展示に

森本:私自身の研究が徐々に上流やシステム全体を見通すものになる中で、2015年に研究開発グループの組織再編があり、池ヶ谷さんのいるデザイナー部隊と一緒に仕事をすることになったのです。その時は衝撃でしたね。同じ部署で隣の席に座っている人と、言語が通じないという体験をするとは思いませんでしたから(笑)。

その後に取り組んだのが、価値のシミュレーター(Cyber-Proof of Concept 、以下Cyber-PoC)です。研究者は技術の素晴らしさをお客さまに伝えたいと考えがちですが、お客さまはその技術がどの程度役に立つのかにしか関心を示さないのが普通です。そこで、技術がどのような価値をお客さまに提供できるのかを、ITを使って可視化することを考えました。価値をシミュレーションするアルゴリズムを開発する研究者と、必要な人に理解してもらえるように見せる方法、つまりユーザーインタフェースを考えるデザイナーが一緒に研究する枠組みを作っていきました。

池ヶ谷:森本さんと一緒に仕事をした後にイギリスへ出向し、環境への意識が大きく変わりました。日本よりも4~5年は先を進んでいる印象でしたし、住民の意識や危機感も高い。実は日立に入社した理由の1つに(いわゆる)社会貢献があり、環境への取り組みは自分でも手掛けてみたかったので、2019年に帰国して環境にかかわるチームに配属されたのはラッキーでした。一方、日立は2021年11月に英国グラスゴーにて開催されたCOP26(第26 回気候変動枠組条約締約国会議)のプリンシパルパートナーになりました。コロナ禍の最中ではありましたが、COP26には日立の国内からの5人の参加者の1人として参加することができました。

森本:その池ヶ谷さんと2021年に再び一緒に仕事をすることになった、というわけです。彼は環境分野で日立のプレゼンスを上げることをミッションにしていて、私はCyber-PoCによる価値の提供の広がりについて検討していたのです。

池ヶ谷:COP26で日立の先端的な技術を使った展示をしたいと考えていたとき、森本さんのCyber-PoCに目が止まり、ちょうどその頃、私自身が日立京大ラボの成果をまとめる書籍『BEYOND SMART LIFE――好奇心が駆動する社会』の制作、に携わっていて、そこで政策提言にAIを活用する研究の話を聞きました。例えば30年先の将来に起こり得るさまざまな可能性とそこに至る多数の未来シナリオやシナリオの分岐点をシミュレーションするといったAI(以下、政策提言AI)に関する研究で、これとCyber-PoCを接続してしまえば面白いかも、と思いついたのです。これが「脱炭素シナリオシミュレータ」の記念すべき第一歩、ですよね?

森本:そうですね。池ヶ谷さんからその構想をお聞きして、これはエキサイティングだ、と思いましたね。Cyber-PoCは経営者向けに数年ぐらい先の価値を可視化するのがミッションですが、環境というテーマは「2050年」が射程に入ってきます。つまり未来の市民に向けた価値をどのように表現して、今の市民にどのようにシナリオを伝えるかを考える必要が出てくる、ということになります。これはCyber-PoCの技術ステージをグンとあげることができるかもしれない、と予感したので、ぜひ一緒にやらせていただきたいと答えました。

ユーザーインタフェース、システムデザインの視点を得た学生時代 イメージ1

誰もがデータサイエンティストになれるツールとしての脱炭素シナリオシミュレータ

池ヶ谷:脱炭素シナリオシミュレーターの技術的なベースになったのは、日立京大ラボが開発した政策提言AI です。この研究の一つの成果として、「少子化」や「環境破壊」といった約150の社会要因についての因果関係モデルを構築し、その後、AIを用いたシミュレーションにより2018年から2052年までの35年間で約2万通りの未来シナリオを予測したというものがあります。その事例においては、これを23個の代表的なシナリオのグループに分類して、将来の可能性を提示しました。さらに、シナリオグループ同士がいつどのように分岐してそこに至るのかを要因とともに解析し、政策の提言を支援するものです。

誰もがデータサイエンティストになれるツールとしての脱炭素シナリオシミュレータ イメージ

政策提言AIについては多くの取り組みを2017年から実施していて、たとえば福井新聞主催の「未来の幸せアクションリサーチ」では、県民から幸せにつながる意見を募集し、政策提言AIを活用したワークショップを開催して福井の幸せにつながる提言の作成が行われました。私自身がこれに関わっていたわけではありませんが、これは面白い活用方法だと思いました。そして同時に、AIの支援によりステップを経ながら未来のことを話し合えたことで、合意形成のツールに使えると感じ、それがそのまま脱炭素への取り組みに活用できる可能性がある、と思ったのです。

森本:シミュレーションそのものはAIが行いますが、その結果を使って住民が実際に考えることで行動や意識が変わるだろうと予測しました。企業向けのCyber-PoCのようにお金を出してくれるスポンサーに対しての価値提供だけではなく、環境という命題に対して社会の人を巻き込んでいくツールにしていくべきだと考えました。

池ヶ谷:一方で、政策提言AIが示すシミュレーション結果については数字が羅列して表示されるものだったので、実質的にはAIの研究者やデータサイエンティストが読み解くといった作業が必要でした。脱炭素シナリオをシミュレーションしてCOP26に出展するに当たって、一般の人にもわかるように数字の羅列からグラフィカルな表現にユーザインタフェースを開発する必要性を感じたわけです。そこで森本さんに相談して、グラフィカルに表示でき、誰でも使えるようなWebアプリの開発を進めました。

森本:シミュレーションすると、「今のままだとこんな未来しかないよ」「こういう判断をしないとこちらのシナリオに進めないよ」という分岐のポイントが見えてきます。これをグラフィカルに表現してわかりやすくするよう、デザイナーなどの専門家とも議論を重ねました。シミュレーションでは、23のシナリオグループが生成されますが、シナリオの分岐は複雑で一般の人には解読が難しいのです。そこで、脱炭素シナリオシミュレーターでは、2050年の到達点で6つから8つ程度のさらに大きなシナリオのグループにまとめ、それぞれを色分けしました。

誰もがデータサイエンティストになれるツールとしての脱炭素シナリオシミュレータ イメージ2

池ヶ谷:従来は白黒のチャートでしたから、大きなグループで色分けされるだけでも視認性が随分高まりましたね。

森本:そうですね。それぞれの色を2050年から現在に向かって時間を逆に辿っていくと、ある時点で色が分岐します。例えば赤と緑のシナリオのグループが分かれる決定的な時点がどこかにあるのです。それをさらにわかりやすくするように、シナリオの分岐を詳細に確認する画面も作成しました。分岐点に丸いパイチャートを設けて、分岐の先でどの色のシナリオに進むかの割合を円グラフで色分けすることで直感的に理解いただけるようにしました。もしも分岐を過ぎて手遅れになってしまっても、その時点からさらにシミュレーションして目的のシナリオに近づけるような見直しも可能になります。

誰もがデータサイエンティストになれるツールとしての脱炭素シナリオシミュレータ イメージ2

池ヶ谷:一般の人に自分たちの未来について語り合ってデータサイエンスしてもらうことが必要です。それができるように、なるべくわかりやすいインタフェースを作ってもらいました。ユーザーインタフェースの基本的なアイデアは私が出して、実際の詳細画面のデザインは森本さん側のデザイナーに開発していただいた協創の成果です。Webアプリにしたのは、今後、日立が介在しなくても誰でも脱炭素シナリオシミュレーターを使ってもらえるようにという思いからです。以前のインタフェースを知っている私から見ると、良くここまでできたなと感心しているのですが(笑)、まだ実現できていない機能もたくさんあります。今後も機能強化を続けていく予定です。

北海道の2自治体で脱炭素ロードマップ作成を実施

池ヶ谷:開発した脱炭素シナリオシミュレーターのWebアプリは、北海道の2つの自治体と連携して価値検証を行いました。帯広市と石狩市での実証です。AIでシミュレーションするためのモデルづくりから、AIが求めた2050年のシナリオを読み解き、ロードマップを検討していくワークショップを地域の人たちが主体となって開催しました。

森本:地域の人が自分たちでAIに分析させるためのモデルを作ることが極めて重要です。課題を知っている当事者がモデルを作るからこそ、現実に即したシナリオが導き出されるのです。めざしたいのは脱炭素ですが、人口の増減、産業構成、財源などの前提となる状況が異なるので、課題が地域や自治体によって大きく変わるのは言うまでもありません。

池ヶ谷:一般に、自治体はスケールが大きくなると合意形成が難しくなります。小さな自治体であれば首長と小さな議会であっという間に結論が出ますが、ある程度人口が増えるとそれに比例してステークホルダーも増加します。脱炭素シナリオシミュレーターによる合意形成の効果が現れやすいのは10万人から50万人ぐらいの都市でしょうね。ワークショップには市役所の環境課など、環境や脱炭素の事業に直接関わっている担当者以外に、異なる部署からも参加してもらいました。さらに、市民団体やNPOにも参加を呼びかけ、帯広市では帯広畜産大学の学生さんにも参加してもらって住民目線からの課題を反映してもらうことができました。

森本:ワークショップは各4回行いました。1回目で地域課題の指標を洗い出し、因果関係モデルを検討します。2回目に因果関係モデルをブラッシュアップし、その結果から脱炭素シナリオシミュレーターのAIがシナリオの分析をします。3回目のワークショップで、AIが導き出したシナリオを見ながら、シナリオの特徴を読み解いてそれぞれのシナリオの名前をつけていきます。そして4回目でめざすシナリオを選定し、シナリオを実現するために分岐点で取るべき指標を見ながらロードマップに落としていく作業を行いました。

北海道の2自治体で脱炭素ロードマップ作成を実施 イメージ

池ヶ谷:脱炭素をめざすといっても、さまざまな方向性があります。地域を持続させるためには人口を増やす必要がありますが、増えた人が皆ガソリン車で移動したら炭素排出量が増えます。それではすべてEV(電気自動車)にすればいいのかというと、今度は電気代が増え発電のための炭素排出量が増える可能性があります。約300の指標の関係性をワークショップで議論して整理し、その地域ならではのシナリオをAIが提示し、それを元にさらに、比較してどのシナリオを選ぶかを議論して評価してもらいました。

森本:今回の脱炭素シナリオシミュレーターの実証では、特定の部署だけでなく幅広く地域の課題を挙げてもらい、環境以外の指標についても議論することができました。だからこそ、最終的に導き出したシナリオや施策が自分ごととして取り組めるようになるのだと思います。最後は自治体の人に選んでいただくことが重要なんです。AIの結果を押し付けるのではなくて、どれを選ぶか、それでみんなが納得するか、が重要です。

池ヶ谷:シナリオとしてはどれも脱炭素に近づくけれど、経済面を優先するか、社会環境面を優先するかは自治体の考え方によります。どんな将来のビジョンを選ぶかを、自分たちで考えてもらうきっかけになったと思います。

北海道の2自治体で脱炭素ロードマップ作成を実施 イメージ2

森本:Webアプリを開発して、シミュレーション結果をかなり可視化できるようになりました。それでも300ぐらいの指標が並び、現在から未来へと行ったり来たりしてシナリオとその分岐を確認するのは大変でした。まだWebアプリだけでは限界があり、パワーポイントやオンラインホワイトボードなども組み合わせて検討を進めました。付箋紙を物理的なホワイトボードに貼って検討することも多かったです。今後、脱炭素シナリオシミュレーターのユーザーインタフェースをさらにブラッシュアップして、社会課題の解決に貢献していけたらいいなと思っています。

日立製作所 研究開発グループ
			デジタルサービス研究統括本部 
			デザインセンタストラテジックデザイン部 主任研究員

森本由起子(MORIMOTO Yukiko)

日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部
デザインセンタストラテジックデザイン部 主任研究員

人と機会を取り持つ「ユーザーインタフェース」に目覚める

入社後最初に読んだ「Designing the User Interface」(Ben Shneidermanほか著)が今の仕事につながっています。学生時代に、人と機械を取り持つユーザーインタフェースという分野があることを知り、興味を持ったことが日立に入社したきっかけでした。例えば、エアコンを操作するとき、現在25℃で少し涼しくしたいときに、24℃や23℃に設定すれば目的は達せられます。しかし人間は暑いと感じたらいきなり18℃に設定したりします。機械と人間の間にはそうした違いがあり、実はユーザーインタフェースがその差を埋めていくのだ、という考え方をこの書籍で学びました。入社後は自然言語処理技術の研究からスタートしましたが、ベースにはユーザーインタフェースの研究があり、その結果が今の仕事につながったと実感しています。

日立製作所 研究開発グループ
			サステナビリティ研究統括本部
			プラネタリーバウンダリープロジェクト
			主任デザイナー

池ヶ谷和宏(IKEGAYA Kazuhiro)

日立製作所 研究開発グループ
サステナビリティ研究統括本部
プラネタリーバウンダリープロジェクト
主任デザイナー

社会課題の突破口を見つける日立京大ラボの集合知に触れる

日立京大ラボが編者となって発行した『BEYOND SMART LIFE――好奇心が駆動する社会』(日立京大ラボ編、日本経済新聞出版)の企画や取りまとめを通じて、大きく自分も影響を受けました。京大の先生方に執筆していただいたり、確認していただいたりしただけでなく、自分でも執筆しました。2050年の社会課題の突破口を見つける書籍として、大きな集合知になったと感じているので、ぜひ読んでいただきたいです。もう1冊、「世界からバナナがなくなるまえに」(ロブ・ダン著、高橋 洋訳、青土社)もお勧めします。私たちは12種類の主食作物で生きていて、環境の影響でこれらの主食作物がなくなってしまう危険性があるという指摘です。口に入るものへの興味を掻き立てられる一冊です。