ページの本文へ

Hitachi

Demand for Health

自分のための健康か、社会のための健康か

「調子が悪いのはルール違反?」

変化の始まり

パンデミックによる経済活動や外出の自粛要請を通じ、人々は自身が感染源となるリスクを初めて自覚させられた。自身の行動が「不要不急」であるかの判断は難しく、「不要」ではない要件もまわりの目を気にして「自粛」せざるを得ない。このような判断を重ねることで、健康管理は個人的営みから行政や医療システムへの負荷を低減するための社会的営みとして認識されるようになる。

個人の健康のオーナーシップは社会に移行

医療費削減を目的として、個人による心拍数・血圧などの健康モニタリングとスコア化が普及。国の定める数値目標に向け、まるで義務であるかのように生活習慣の改善を余儀なくされる人々の中には議論が広がる。一方で国からフィードバックされる、自分の健康状態を把握しやすい総合的診断情報のメリットも評価されていく。しかし、深刻な病気が判明する場合もあり、明らかになりすぎる自分の健康状態は人々を必要以上に過敏にさせる。各自の医療リテラシーの向上と併せ、改善が難しい症状結果が出た場合のメンタルケアが求められていく。

食後の歯磨きが常識とされているように、ウェアラブルセンサ等によるデータ計測・分析を用いたヘルスケアが人々の間で習慣化される。年に一度の健康診断はモニタリングに基づくプロアクティブなサービスへと変わり、不健康状態の放置はある種「車検切れ」のように扱われ医療機関からの指導対象となる。人々は、自分と社会双方の健康のためにモニタリング&ケアの制度を受け入れていくが、あたかも資産管理をロボアドバイザーに任せきってしまうかのように、自分の健康管理に対するオーナーシップを失くしていく。

過度なつながりが「一人でいること」の正当性を問う

自宅を主たる活動の場にする人が増えるのに伴い、孤立予防の観点から、全世帯へのオンライン環境整備が義務化される。遠隔地にいる他者との簡単な近況報告(健康状態・経済状況)をし合うリアルタイム交流が進み、オンラインコミュニケーションも「社会生活」の1つと見なされるようになる。弱者を救うセーフティーネットが築かれる一方で、他者との地域内での接触も遠隔コミュニケーションも取らず、「一人でいることを望む」という選択は、問題のある行動と捉えられるようになる。

心の健やかさを保つための適度なコミュニケーションツールは人々の間に行き渡り、各自のメンタルの不調は速やかに検出・対処されるようになっていく。精神的な状態を自宅で計測しセルフケアを行うことが日常となり、うつ状態や社会的孤立は発生しづらいものとなる。一方、常になんらかの形で社会につながっている環境が好ましいとされる中、長期の隠遁生活など意識的に社会と接触を断ち、「一人の時間を堪能する」ことは特別で、ある種覚悟を伴った型破りで贅沢な体験として希少性を持ち始める。

Keywords:
健康増進(医療費削減・感染拡大防止)、社会的健康、セルフケア、メンタルケア