――― これまでの経歴をお聞かせください。
生まれは滋賀県です。2011年に産業医科大学を卒業し、2年間の臨床研修を経て、日立製作所の日立健康管理センタで1年間、産業医の仕事を経験しました。その後、大学院で産業衛生学の修士課程を修了したのち、現在の職場である日立オートモティブシステムズの佐和工場で働き始めました。
――― 産業医としての最初の職場に日立健康管理センタを選んだのには、どういった理由が?
日立健康管理センタには、多くの産業医の先生が働いていらっしゃるので、産業医としてのキャリアを積むのには最高の環境だと思ったからです。実際に働いてみると、日立グループのみなさんは産業医を本当に必要としてくれますし、話し合いにも建設的に応じてくれるので、とても働きやすかったです。
――― 産業医を志したきっかけを教えてください。
大学へ進学する前から「予防医学」という分野に興味がありました。また、父親が勤める会社の産業医の先生とお会いしてお話を聞く機会などもあり、高校卒業後は迷いなく産業医科大学へ進みました。
――― 現在の主な仕事内容を教えてください。
定期的な面接や職場巡視、安全衛生委員会への出席がメインです。日立オートモティブシステムズの全国の事業所に出向いて、各事業所の産業医の先生と情報交換するのも大切な仕事です。また最近では、海外出張を控えている従業員さんの健康診断をする機会も増えてきました。これは、グローバルに展開している企業ならではですね。
――― 面接では、どのような相談事が多いですか?
メンタルヘルスの相談事が多く、全体の半分前後を占めています。仕事上の不安、人間関係の悩みなど、内容は人によってさまざまですが、相談者の悩みや不安を解消し、安心して働ける環境を作れるよう努めています。エネルギーを使う仕事ですが、その分、やりがいはありますよ。
――― 産業医ならではの「やりがい」ということですね?
その通りです。産業医の特徴として「従業員さんとのおつきあいが長い」ということがあります。場合によっては、入社から退職までの40年近い年月をともにすることもあるわけです。その中で、従業員さん一人ひとりとじっくり向き合い、生活習慣や仕事内容をふまえた健康管理に携われるのは、とても価値あることだと思います。
――― 産業医のお仕事で印象深いエピソードがあれば教えてください。
以前、糖尿病の治療がうまくいっていない従業員さんがいらっしゃいました。その方は、ご自身が運転する車で外回りをする仕事が多いのですが、糖尿病は突発的な発作のリスクが高いので、非常に危険なんです。万一、事故が発生した場合、糖尿病であることを把握していながら対処できていなかった会社が「安全配慮義務」を怠ったものとして訴えられるケースも考えられます。
そこで私は、その方の上司と相談した上で、車の運転を控えていただくことと、糖尿病の数値を改善し、治療の効果を認識してもらうための「教育入院」を提案しました。説得を重ねて、なんとか入院に同意していただけました。そして、入院した結果、糖尿病の数値はすっかり改善し、体の倦怠感もなくなり、糖尿病の典型的な症状である「のどの渇き」が緩和されたことで、一番の趣味だった歌が思いきり楽しめるようになったそうです。この件は、従業員さんと会社、両方の立場に配慮したアプローチがうまくいったケースとして印象に残っています。
――― ひたちなかでの休日はどのように過ごしていますか?
趣味が登山なので、もっぱら山に登っています。茨城県の有名な山だと「筑波山」に登りました。「日本百名山」に数えられていて、私自身も大好きな山です。それから、バイオリンの演奏も好きなので、日立健康管理センタに勤務していたときは、アマチュアのオーケストラに参加していました。今の職場はまだ日が浅いので顔を出せていませんが、いろいろと落ち着いたら、また演奏活動を楽しみたいですね。
――― 若い女性として、ひたちなかは暮らしやすいですか?
近場に大きなショッピングモールもありますし、日常生活には全く困らないですよ。例えば「ニューポートひたちなか」には、ホームセンターから、お洋服が買える店までそろっていますし、今のところ生活上の不便を感じたことはないですね。プライベートはひたちなかで満喫しています。
――― これから産業医を目指す人、産業医に興味がある人へ、メッセージをお願いします。
「産業医」という仕事のおもしろさは、ことばだけでは伝えきれない部分もあるので、少しでも興味があれば、ぜひ現場に足を運んでみてください。私がいきいきと楽しそうに働いている姿を見ていただければ、その魅力がきっと伝わるのではないかと思います。