野末 壮
社会イノベーション協創センタ
プロダクトデザイン部
デザイナー
池田 稔
社会イノベーション協創センタ
プロダクトデザイン部
主管デザイナー
2021年末から運行を開始した、TRA(Taiwan Railways Administration/台湾鉄路管理局)の都市間特急車両「EMU3000」。TRAと日立製作所に加えて、地元のデザイナーチームも参加し、台湾の歴史や文化、市民の価値観などを踏まえながら、新しい社会インフラとしてのあり方を模索するプロジェクトとなりました。その取り組みは、2021年度グッドデザイン・ベスト100に選ばれるなど、高く評価されています。
今回、TRAのプロジェクトに初めて外部のデザイン専門家が参加したことは大きなポイントです。その背景として、台湾では公共政策とデザインの結びつきが非常に活発だということがあげられます。現地の社会や文化を知るデザイナーの意見を取り入れ、より良い提案につなげていこうという意図があったのです。その思惑どおり、互いにデザインを尊重する者同士の議論はスムーズで、とても生産的なものとなりました。
車両デザインについても、台湾のデザインや感性に精通する専門家たちとの対話を通じて、あるべき姿を導き出していきました。「サイレント・フロー(Silent Flow)」というコンセプトは、静かさ、穏やかさ、余白といったキーワードとともに、台湾の過去と現在に共通する価値観を表現しています。
デザイナーの野末 壮は、「当初は外から見た台湾のイメージや、わかりやすい台湾らしさを意識していました」と打ち明けます。しかし、ワークショップで台湾側から「世界に誇れるような先進性や、これからの台湾を表現したい」という声があがっていたこと、特に台湾の現代を表すのに、メンバーが多用していた「Subtle(微かな、敏感で緻密な、さりげない)」という言葉に着目したと言います。
野末自身、台湾出張中に時間を見つけて各所を訪れ、美術館や街なかのアートワークにできる限り触れました。「明るさやポップさを余白によって抑制している。これが“派手”ではなく穏やかな感じにつながっているのかなと思いました」。同じくプロジェクトに参加したデザイナーの池田 稔も、「台湾市街を歩くと日本の街並みかと錯覚するくらい、スケール感や湿度感が似ています」と話します。そうした共通点や違いを踏まえて、両者で対話を重ねながら言葉をチューニングしていき、最終的に「サイレント・フロー」にたどり着いたのです。ふたりは「誰かが決めたというより、とても自然な流れで決まった」と振り返ります。その時点で信頼関係が生まれ、プロジェクトの最後まで今回のデザインの考え方について大きな齟齬なく進めることができました。
EMU3000の車両デザインは、世界でも特に厳しいといわれる欧州規格をベースとするルールに基づいており、そこには日立製作所が英国鉄道で培ったデザインの知見が生かされています。車両の断面は、日本の車両にもよく見られる四角い形状です。TRAからの要望である「スピード感のある雰囲気」に応えるため、野末らは先頭車両から後部車両へとスムーズにつながっていくラインを模索しました。
ポイントは先頭車両をいかにスラリと見せるか。先端および側面の窓の形、それをカバーする黒いグラフィック部分のバランスを工夫して、黒い帯を車両の上部まで流れるように走らせ、白いパートの比率が横長に細く見えるようにしました。野末が描いたスケッチをもとに、設計者と膝を突き合わせて、3Dデータを見つつ微調整を繰り返したと言います。「造形言語をできるだけ増やさず、同時にグラフィックに頼りすぎない感じにできました」(野末)。
エクステリアのカラーリングについては、白と黒をメインでまとめることになりました。EMU3000は、台湾の各都市をつなぎ、海や山など変化に富む風景の中を走っていく列車です。「何かの特徴に縛られず、どのような背景でも列車が映えるようにしかった。そのためには有彩色をあまり入れないほうがいいと考えました」と野末。例外は、内外装でアクセントとして使う5種のカラーパレットです。それぞれに名前と意味を付けて、外装の一部や、座席の横につけるタグなどに採用しています。
インテリアは、シートや荷棚を構成する水平方向や垂直方向の直線を際立たせて、都会的で洗練された印象で統一しています。例えば、車両のデッキは当初黒を基調としたダークな空間を提案していましたが、現地のデザイナーからのアドバイスで、より台湾の人々に受け入れられる表現に調整していきました。野末は、「個人的な嗜好や主観ではなく、客観的な意見をもとに、関係者が納得するかたちでデザインを進められたのはとてもよかった」と語ります。
さらに列車の行き先や車両種別、各種情報を表示する車内外の案内表示装置のグラフィックに関しても、日立製作所の情報デザイナーが加わり、EMU3000のたたずまいにふさわしいデザインを行いました。池田は、「従来は明朝体タイプを使うことが多かったのですが、視認性や車両とのバランスを考えてサンセリフ体を採用し、色数もだいぶ減らしました」と説明します。
このようにEMU3000のデザインは、エクステリアもインテリアもできるだけムダな要素を削ぎ落とし、シンプルさを追求していきました。それゆえに、ディテールの細やかさとものづくりの精度がより求められることとなり、“ごまかし”がききません。最初の車両の製造にあたっては、「心配で眠れないこともあった」と野末は言います。しかし、最終的にはデザインどおりの精度の高い出来栄えとなり、日立製作所の製造部門の技術の高さが証明されることになりました。コンセプトとディテールの整合性がとれ、関係者全員が「これをやりたかったのだ」と納得したのです。
さらに野末らを不安にさせたことがありました、それはコロナ禍で工場や現地への出張がままならない状況で、実物での検証が思いどおりにできなかったことです。台湾側のデザイナーに最終確認を任せることも多く、野末は「それまで頻繁に会ってイメージを共有し、お互いの信頼もあったので助けられた」と語ります。
車内のさまざまなディテール
抑制を効かせたグラフィック
統一感のあるサインデザイン
EMU3000は2021年12月末に営業を開始し、利用者にも快く迎え入れられています。TRAが事前に車両デザインのお披露目イベントを開催したり、SNSをうまく活用しながら情報発信に努めたことも功を奏しました。池田はプロジェクトを振り返り、「台湾側の動きがとても早く、SNSも上手に活用しながらフィードバックをデザインに生かすなど、われわれももっとこうしていくべきと学ぶことが多かった」と語ります。そのうえで、「大きなグランドデザインと、緻密なディテールを両立できたことが、高い評価につながっていると思います」と言います。
一方、野末は「デザイナーとして幸せなプロジェクトでした」と感想を語ります。鉄道デザインはライフサイクルが長いため、ひとりのデザイナーがコンセプトワークからディテールまでやり切ることはまれです。「今までの人生でいちばんタフで充実した期間だった」と話す野末にとって特に大きな学びとなったのは、社会インフラとしての鉄道デザインのあり方です。対話によって最善のデザインを導き出すという貴重な経験を今後の仕事にも生かしていくつもりです。