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企業情報研究開発

  • 京都大学 × Hitachi

Crisis 5.0: 2050年の社会課題の探索 Exploring societal issues for 2050

将来、仮に2050年としましょう。私たちはどんなことに悩んでいるのでしょう。

高齢化、少子化、過疎化でしょうか? いや、これらは受け入れざるを得ない「現象」です。こういった現象が私たちの大事なもの、生命、財産、人権、アイデンティティなどを脅かし、「不安」が生まれるとき社会課題が生まれます。

では、どう脅かすのか?

私たちは京都大学の多くの先生方と対話し、このことを考えてきました。霊長類、税制論、古代ローマ史、人のこころのありよう、東南アジアやアフリカの社会など、さまざまな専門分野の先生方との対話は、一見、日本の社会課題から遠いようでありながら、実は全ての話は人が持つ根源的な「不安」につながっているという発見をしました。この発見を、立ち向かうべき危機を直視しようとの思いでまとめたものが、『Crisis 5.0』です。

インタビューのポイント/研究者一覧

インタビューのポイント

京都大学研究者インタビュー一覧(順不同・敬称略)

氏名 研究領域 インタビュー内容
山極 壽一 霊長類学
  • 過去人間社会が繰り返してきた変化
  • 社会の構成単位としての家族とコミュニティ
  • 社会の多様性
  • これから起こりうる人間社会が経験したことのない変化
カール・ベッカー 共生人間学
  • 宗教や死生観はなぜ変わるのか
  • AIは人の倫理観や死生観をどう変えていくのか
諸富 徹 経済学
  • 貨幣、税制の社会に対する影響
  • 社会課題を解決するシステムである税制の今後
河野 泰之 東南アジア研究
  • 東南アジアの文化・経済の歴史とその特徴
  • 熱帯地域の多様な文化や多民族の隔絶や交流がどのように起こったか
  • 世界の中心が熱帯に移る時代になにが起こるのか
内田 由紀子 こころ、幸福
  • 幸せを与える社会・コミュニティとは
  • 希薄化している人間関係
  • 2050年の人の幸せとはなにか
南川 高志 古代ローマ史
  • 大国の衰亡や崩壊によってなにが起こるのか
  • ローマの歴史からみた今後の社会課題を捉える視点
  • 社会におけるアイデンティティの役割
重田 眞義 アフリカ研究
  • アフリカの文化的特徴と歴史的経緯
  • 多種多様をよしとする本来的な性向
  • 経済価値原理
岡本 正明 東南アジア研究
  • 東南アジアの文化・経済の歴史とその特徴
  • インタビューは2016年11月–2017年2月に実施

Chapter 0: Interview 人類の進歩を促す「不安」について

山極 壽一
京都大学総長

ききて:日立製作所 日立未来課題探索共同研究部門

不安に抗う人間社会

たとえば馬、サル、ゴリラなどが群れをつくり自身をそのなかに位置づけているのと同様、ヒトも言語を有する以前から社会をつくっていた。社会の根源的な本質はそのころから形成され、いまなお継承されている。

なぜ人類は社会をつくったか。「死への不安」と「他者に対する不安」に対抗し、克服するためである。そして、ほかの動物の群れと人間社会の大きな違いは、定住と農耕によって不可逆的に生じた、「未来を信じる」という精神性による。

農耕は栽培技術の革新と捉えるより、この不可逆的変革を保証したという意味が大きい。定住し、作物を育てるという未来への投資行為は、それまでの狩猟や採集よりもはるかに重労働であり、「未来を信じる」という精神性なくしては実現しない。

未来を信じる精神性

「未来を信じる」、すなわち「今日より明日はよい日になる」と信じるために、今日を耐え、あるいは明日のために工夫する。明日の不安をなくすため今日に工夫する、という精神を人類は得た。

次に、人類は、ほかの土地に移動して利益を拡大するという精神を生んだ。古代の帝国から近代国家に至るこの精神に基づく社会は「国」というかたちで制度化され、国民の利益を守っている。

だが、現在の情報社会では、グローバル企業の力が台頭する傍ら国家の自立性が不透明化している。

他者を遠ざけた社会が抱える不安

文明の発達は、人類の根源的な不安である「死」と「他者」を遠ざける安全な社会をつくり出してきたが、結果的に他者とあまり関わらずとも生きていける社会へと成熟している。しかし、これは太古の狩猟・採集時代の自給自足で生きている状態とは異なり、実際は他者の力をあらゆる場面で借りているにもかかわらず、他者と関係を結ばずに生きていける社会である。

現在の大きな課題は、こうして社会や他者が個人から離れてしまい、他者の存在が希薄になっている点である。文明の発達は不安をなくすためだったはずが、より大きな不安を招いているようにもみえる。

未来を信じて投資することで目の前の不安は消えるが、とらえどころのない不安は大きくなる。そしてこの新しい不安が次の「進歩」の源泉になる、というサイクルが人間社会の発展を促してきた。

人類はこれを「成長」と信じてきたが、現在このサイクルが加速され、ヒトが人になる以前に身体に染み付いた感覚や長かった狩猟採集時代に身に付けた感覚とのギャップが広がっている。

Chapter 1: 信じるものがなくなる

「未来を信じる」。
われわれ人間がなにかをなそうとするとき、
行動原理の根底には未来への信頼がある。
生命をはぐくみ、財を築き、生きることの意味を支えている
この「未来を信じる」ことが、困難になりつつある。

農耕の最も大きな革命は、人類が「未来を信じる」精神性を身に付け、
種を蒔くという未来に対する投資を始めたことだという。
この精神性は資本主義に引き継がれ、生産と消費を投資によって
継続させ発展しつづける現在の世界へと導いた。

では人はこれまでどのような「未来」を信じてきたのだろうか。
たとえば古代ローマ時代では、
「努力すれば文明的な生活が手に入り、ローマ人になれる」
という精神性がローマ帝国内すみずみの支配層に強く根付き、
帝国の運営が可能になった。

また明治期の日本における「未来」は、
日本が当時の列強と並び立つという夢だった。
その未来を坂の上にぽっかりと浮かんだ雲
『坂の上の雲』司馬遼太郎作のように見据え、日本人は坂道を登っていった。

さらに近現代の資本主義社会・工業化社会においては、
国家に代わり企業が未来への投資を集めて生産を行い、
利潤を労働者に還元した。
まじめに働き、手に職を付けることで、だれでも家族を養い、
老いては年金をもらって生活できるという未来への見通しが、
資本主義社会を安定させていた。

特に日本人は、周りと自分を比べて、
人並みか少し上の幸せを求める傾向が強く、
規格化された同じモノを大量生産するシステムと相性がよかった。
だれもが「人並み」を求める未来像が大量生産を促し、
規模の経済が実現され、さらに「人並み」の基準が押し上げられることで、
その基準に向かって人びとが勤労するというサイクルが、
高度経済成長を持続させた。

「今日よりよい明日が来る」。
未来を信じるこうした精神性は、しかし現在、不透明感を増している。
先進国では生産拠点の海外流出により中間層の没落が起こり、
難民流入によって非正規雇用さえ奪われるのではという不安が広がっている。

また東南アジアでは、大量生産に応えるために単一作物を大規模に栽培している。
この実態は熱帯地域の特性にそぐわず、
作物の疫病や災害による飢きんなど高いリスクを抱えている。

未来への不透明感の根幹には、
これまでよりどころとしてきた「成長」と「持続性」の矛盾がある。
長期的には、物質的な豊かさを求める成長と、
社会の持続性は両立しない
のである。

わたしたちは、「よりよい未来」を信じる精神性を保ったまま、
持続可能な社会—再生エネルギーに依存し、
完全リサイクルが実現された社会—を築いていくことができるのだろうか。
求めるものが物質的な豊かさではなく、別の価値観へと変化していくのだろうか。

新しく「信じる」に値する価値観や倫理を確立することができるのだろうか。

あるいは、「今日と変わらない明日が来る」という未来でも、
わたしたちは希望をもてるのだろうか。

Chapter 2: 頼るものがなくなる

人間は、死や他者に対する「不安」から逃れるために社会をつくった。
現代では、社会を制度化した国家が、国民の生命と財産を守る役割を果たしている。
特に日本人は、東南アジア諸国などに比して国家を信頼する傾向が強い。
しかし、いまや国の自立性が不透明感を増し、国家への信頼が揺らいでいる。

戦後日本における大量生産・大量消費の経済では、
企業が地方に生産拠点を据えて雇用を確保し、
政府や自治体は地方と都市を結ぶ鉄道や道路をつくることで恩恵が行き渡り、
税収も増えることが期待できた。
だが、近年、生産拠点が海外に移り、国民の消費意欲も低下しているにもかかわらず、
日本は大量生産に代わる新しい
付加価値サービス
を見出せていない。

日本国家は国債による借金が膨らみ続けており、
財政の破綻した地方自治体では公共サービスの縮小が始まっている。
地方で職を得られない若い世代が大都市に来て、
低賃金の非正規サービス労働に従事することも多い。

日本人が働くのは主に20代から60代だが、
この間に一生の消費分を賄えないと生涯収支が赤字となり、
家族や国家からの補償が必要となる。もし少子化が解決されても、
この状態では日本の財政はむしろ悪化する。
また、企業も収益を上げられなくなり、この状態で税金を徴収されれば、
成長に必要な投資が奪われることとなり、いずれ徴収自体が無理になる。

国際情勢においては、グローバル経済の広がりによって自国の金融政策のみでは
経済のコントロールが効かなくなり、先進国政府は国民を納得させることが難しくなっている。
既存政権の統治能力の喪失は、
国民の政治エリートに対する信頼を失わせる。
その結果、自国利益優先を主張する政治勢力が台頭し、英国におけるEU 離脱、
米国のトランプ大統領当選、欧州の右派勢力台頭といった現象が生まれている。
しかし保護政策は一時的な効力はあっても、根本解決はできない

日本では、今後は東南アジアの人口増と中国の影響力拡大への対応が重要となる。
市場的にも発展途上の東南アジアは重要だが、中国のさらなる勢力拡大により
東南アジア各国が中国寄りの政策をとる可能性が高く、
相対的に日本の影響力が弱まる。
こうして、財政的にも国際的な影響力においても、日本は国力が弱まり、
国民が国家を頼ることがより難しくなってくる

「頼るものがなくなる」。
だが、国を頼るという精神性は国民国家成立以降に生まれたもので、
それ以前の仕組みを見直すことが今後の選択肢のひとつにはならないか。
たとえばアフリカや東南アジアでは、もとより国家が頼れる存在ではない。
1980年代のエチオピア大干ばつによる飢餓は、国家による国境の制定で
人の移動が制限されたことによって生じた。

東南アジアでは、近代国家の制度が整っていないこともあるが、
自然災害が多いため、国のみに頼らずリスクヘッジするという発想が根底にある。
そのために人びとは、職種や収入源を増やして複数の生活基盤をもつ。

インドネシアでは頼母子講などの交流会が盛んで、
人びとが多重のネットワークをつくり相互扶助を行っている。
またアフリカでは、モノの売買は利益より人との関係構築に重きが置かれる。
金銭の貸し借りも関係の緊密化のためであり、返済をしない習慣があるという。

とはいえ、すでに多くのコミュニティが失われ、
人間関係が希薄となっているいまの日本において、
こうしたコミュニティによる相互扶助を
国家による社会サービスの代わりにすることができるだろうか。

あるいは、AIロボットの活用によって社会サービスを低コストで行うことも考えられる。
ITの活用によるインフラの高度化や維持、貨幣の発行や流通をネットワーク内で行うビットコイン、
高齢者の移動を助ける自動運転などは、技術の発展による低コストの
社会サービス
としての可能性が考えられる。

国家が頼れる存在ではなくなったとき、社会サービスは、だれが、どのように維持していくのか。
地域のコミュニティでお互いに頼り合う社会はふたたび可能なのか。
それとも、自動化された機械による社会サービスの維持が
実現するのだろうか。

Chapter 3: やることがなくなる

技術の進歩によって、人間の代わりにAIロボット
さまざまな役割を担う社会が実現されつつある。
こうした技術の進歩は、人間になにをもたらすのか。
自由だろうか、それとも孤立や失業によるアイデンティティの喪失だろうか。

人間は、他者から承認されたいという欲求が強く、
他者に認められることで自身の存在意義を確認したいという思いが根底にある。
労働も、生活の糧ということのみでなく、
他者からの評価を受けることで人生の価値を見出す意味もある。
自身の労働が社会や他者に対してどんな意義を与えるかを
見出している労働者のほうが、燃え尽き症候群になりにくい。
快楽による単純な幸福—ヘドニアよりも、
善を感じ生きる意味を感じる幸福感—
ユーダイモニアを感じるほうが、身体の健康状態もよいという研究もある。

現在、技術や社会システムの進歩によって、人の仕事は分業化が進み、
他人と関わらずとも必要なものを
手に入れられる時代
になっている。

ますます発達する技術は、
自動化によって人の代わりに仕事を担うようになり、
いずれAI が人間以上の思考能力をもちうるという予測もある。
AIやロボットが人間以上の思考や運動能力をもつようになったとき、
すべての役割は自動化され、
人はなにもしなくてよい
という状態になりうる。

いっぽう、日本では田舎に移住する若い世代が増えている。
不自由なくなんでも手に入る都市生活より、
苦労してでも自分で必要なものをつくるために努力する生活を彼らは選んでいる。

人は、適度に非効率で、適度に非自動化された生活のほうが、
生きる意味やアイデンティティを保つことができるのかもしれない。
ユーダイモニアは、自ら設定した課題を苦労しながら
乗り越えていくことで得られるものだという。

人間の自尊心アイデンティティを保ちながらも、
快適性持続性レジリエンスを両立させる
自動化システムは、どのようなものだろうか。

それとも、生きていくためのあらゆる行為をAIやロボットに任せ社会と関わらず、
自己満足快楽を充足させることを至上とするような価値観のもとで、
人は生きていくことができるのだろうか。

Chapter 4: トリレンマからの脱出ゲーム 2050年の社会課題

Chapter 1、2、3の各章で述べた事象は、それぞれが関連している。

「未来を信じる」という精神性は資本主義社会と工業化を生み出したが、消費の永続的拡大は環境破壊や資源の枯渇をひき起こす。それらを避けるために経済的成長に歯止めをかけると、社会の富がなくなり、国家財政が困窮する。

国家の窮乏は、公共サービスの削減に加え、社会保障など富の再分配を行うための財源も奪い、社会格差が増大する。いち早く困窮が始まる地方から大都市へのさらなる人口流入は、大規模な都市型災害などのリスクを高める。

AIやロボットで生産活動を自動化し低コスト化することで、人びとが生きていくための必需品を生み出すことが、この問題に関するひとつのアプローチとなる。しかしいっぽう、労働によって社会や他人に貢献し、他者に認められたいというのは、人類が社会をつくるうえで身に付けた精神性である。仮に労働しなくても生きていけることになったとしたら、労働によって得られる充足感を得られず、アイデンティティの喪失や疎外感による社会不安の増大ということも考えられる。やはり、人間には労働が必要なのだろうか。そして、そのためには「未来を信じる」という精神性が必要なのだろうか。

2050年の社会課題を考えるときに生じるトリレンマ

社会課題、という観点では、これまで高齢化、少子化、都市の過密化などにまず焦点が当たってきたが、これらはより根本的な問題から派生する事象と捉えることができる。

根本的な問題とは、「信じるもの=未来」「頼るもの=国家」「やること=労働」の三つの喪失がもたらすトリレンマであり、どれかを避けるためになんらかの手を打とうとしても、それは別の問題を助長する。2050年の社会課題とはこのトリレンマからの脱出ゲームである。

高齢化、少子化、都市の過密化などの個別の課題対策は急がねばならないが、この脱出ゲーム全体の構造を視野に入れて対策を考えなければ、脱出はより難しくなるだろう。

あとがきと謝辞

システム開発のプロジェクトマネージャーに聞いたことがあります。「優れたマネージャーには危機が見える。それもリアルにビジュアルに見える」。その域に到達しない人は、ジュリアス・シーザーが2000年前に看破したとおり「人は概して自分が真実だと思いたいことを容易に信じる」ことになります。

さて、「Crisis 5.0」で取り上げたのは未来に待ち構えているかもしれない危機についてです。危機を語っているだけで解決策は示さず、いささか暗い内容に見えるかもしれません。しかし、われわれは、将来を悲観するために本コンテンツをまとめたのではありません。もしもわれわれに危機が少しでも見えれば、それが望む真実と異なっていても、それを解決する行動を起こせるかもしれません。将来の危機を先取りできれば、研究者にとっては社会に直結する研究テーマの金脈となり、ビジネスパーソンにとっては社会的なインパクトをもつ新事業の宝庫となります。ですから、この内容を読んで暗い気持ちにはならないでほしい。どう解決しようかとワクワクしてほしい。

本コンテンツは京都大学と日立製作所の共同研究テーマ「2050年の大学と企業のあり方」から生まれました。そしてまずは大学と企業がおかれる社会の将来の課題を見据えようというのが、このテーマへの取り組みアプローチとなりました。その過程で多くの先生と議論させていただき感謝しています。霊長類研究、税制論、古代ローマ史、倫理、こころ、東南アジア、アフリカとさまざまな専門分野の先生のお話をうかがいましたが、多くの共通論点を含んでいることに驚きました。別の視点でありながら「社会課題」という共通の問題を見ているようでした。しかし、ここで取り上げたのはうかがったお話のごく一部であり、多くの部分はこの中に盛り込まれていません。われわれの力不足で消化しきれていないところや、ストーリー上拾えなかったところが多々あります。また、ここに記したことはあくまで日立の理解であり、内容に誤りや曖昧性があれば、その内容に関する責任は日立にあります。

これまで日立は科学や工学系の先生と主に技術的な共同研究を行ってきましたが、京都大学には社会の歴史や制度についての豊富な知識と知見があり、社会課題解決を標榜するには、その知見が必須だとの思いを強くしました。これまで企業は、大学に技術的な「解」を期待しがちでした。しかし、社会を見るための正しい知識を与えてくれることにまず価値を見出すべきではないかと、あらためて思います。2050年に向けた大学のあり方を考えるうえでは、企業や社会が大学になにを期待するかより、まず期待する側の意識を変えることがなにより大事ではないでしょうか。

日立製作所 日立未来課題探索共同研究部門

Challenge 5.0

もしわれわれに危機が少しでも見えれば、それを解決する行動を起こせるかもしれません。

『Challenge 5.0』と名づけたワークショップは、そんな行動の第一歩です。

危機『Crisis 5.0』からの脱出口を探すために、学生と日立の研究者が京都大学内のサロンに集まりました。学生は、社会学、経済学、教育学、生命科学、心理学、環境学、地域研究等のバックグラウンドを持つ計19名で、30余年後の2050年には社会のリーダーとして社会課題に向かい合う人たちです。

はじめに、このまま危機を捨て置けば日本はどうなってしまうのかを想像するために、『Crisis 5.0』で示した3つの喪失「信じるものがなくなる」「頼るものがなくなる」「やることがなくなる」が本当に起こってしまうディストピアを描きました。「生きる意味を見出せない人々の悲観的で衝動的な行動」、「失敗から学ぶ術を失った脆い社会」、「便利すぎる社会がもたらした人類の身体的変化」など。描き出されたディストピアが語るのは、機能不全に陥る社会や、進むべき方向を失った個人の姿でした。ただ暗く落ち込むためにやったのではありません。ここから多くの疑問が生まれました。完璧すぎる社会や効率化は人を幸せにしないのではないか?労働からの解放に良い側面だってあるのではないか?個と集合の信じるものが合う、新しいサイズの社会に、何かヒントがあるのではないか?

次は脱出口を探るチャレンジです。3つの喪失それぞれに対して答えを出すのではなく、3つの喪失全てから逃れる出口を考えます。そのために私たちは「信じるもの」「頼るもの」「やること」の再定義から始めました。例えば新しい「やること」を定義した時に、それを可能にする財源をどうするのか「頼るもの」も再定義する。そして、それが幸せなのか、どのような意味性を人々が感じ行動するのか、「信じるもの」も考えるという具合です。議論した脱出口の例は、「社会の中に、適度な非効率性を作りこむ」「大きな格差を前提に、安定な社会を作る」「夜警国家論の復活」などです。

もちろん、一回の議論で脱出口を見出せるほど簡単な問題ではありません。私たちはまだ議論を始めたばかりです。大切なのはこのような議論をし続けることではないでしょうか。今回のワークショップは、「こういうことだって考えられる。私たちは本当にそれを望んでいるだろうか?もし望んでいるとしたら、どうすれば実現していけるのだろうか?」という議論をつくり、人々を招き入れる第一歩です。