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NEXT CAREER STORIES

これからの生き方を、考える。

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株式会社日立製作所 2016年入社 研究開発 安井 雅彦

予想できる未来<自分の枠を超える未来 予想できる未来<自分の枠を超える未来

安井雅彦のライフスタイル

安井のライフスタイル

安井のライフスタイルのイラスト図

世界を広げてくれた海外留学、
そして自転車との出会い

子どもの頃、私の家は転勤族で新潟や富山などの雪国を転々としました。毎年私の身長よりも高く雪が降り積もり、除雪車が通った後はそこに穴を掘って、かまくらをつくったり、雪だるまをつくったり、自分の手で何かをつくり出すことが楽しくて夢中になっていたのをよく覚えています。一人っ子で、かつ小学校を2回転校したこともあり、活発ではありましたが、わりと一人で集中して遊ぶのが好きな少年時代でした。

小学5年生の時に京都へ引っ越して、そこから高校まで京都で暮らしました。中高一貫校に通っていたこともあり、振り返ると行動範囲も狭かったと思います。そんな私の世界をグッと広げてくれた印象的な出来事が2つありました。

その1つが、高校1年生の時のオーストラリアへの短期留学です。同世代のホストファミリーと通った地元の学校では、同じ高校生なのに自分の軸がしっかりあって、授業中に発言したり意見を言ったり、自分が楽しいと思えることだけを全力でやっていたり、発想も行動もすごく自由な生徒がたくさんいました。そこにすごく格好良さを感じて、流されずに自分の意思を持っていたいと思うきっかけになりました。

2つ目が、「自転車競技」との出会いです。友達の影響で私もロードバイクを買って、高校2年生の春休みに、1泊2日で滋賀県の琵琶湖を一周する旅に出たのです。自分たちだけで計画を立て、どこまでも行けるという自由な感覚、そしてこれまで味わったことのないロングライドの疾走感や達成感が最高に心地よく、そこから一気に自転車競技にのめり込みました。当時はこの自転車競技が人生を変えるとは、思ってもみませんでした。

大学に入り、
自転車がますます
人生の中心に

小学校までは“学校に行く”という決まりに疑問を持ち、「高校にはいかない!」と言って母親を困らせていました(笑)。ところが、中学生の頃から漠然と大学って面白そうだなと興味を持ち、高校時代になると、物理と数学の難問を解けた時の達成感が楽しくて、すごく勉強に集中できました。そうした理数系の強みを生かし、大学は理系に進みました。

入学当時はスマートフォンが出始めた頃で、私もアルバイトで貯めたお金で買い、様々な技術が組み込まれた小さなデバイスをまるで宝物のように感じていました。自分も何か新しい技術を自分の手で作りあげてみたい。そうした思いで、工学の世界に飛び込み、人に情報を見せる“ディスプレイ”の研究の中でも、固定されたディスプレイではなく、飛んでいるボールに情報を映し出すという動体軌跡上情報投影と名付けた研究に取り組みました。

そして勉強と同じくらい、いや、それ以上に打ち込んだのが自転車競技でした。大学では体育会の自転車部に入って、本格的にロードレース※1を始めてみると、自分のフィジカル面や性格にフィットして、練習もレースも、とにかく楽しくてしかたがなかったです。勉強が猛烈に忙しい時もあり、時間の制約の中で確実に戦績を残すためには、がむしゃらに取り組むだけではダメ。徹底的に勝ちにこだわり、戦略的に自分を成長させていくというプロセスもまた、私には向いていました。

そこで、大学内のスポーツ身体科学の研究者に協力してもらって最先端のトレーニングメニューで身体をつくり、天候やコースを頭に叩き込み、自らの体力に合わせて戦略を立て、全国のレースに挑みました。少しずつインカレなどのレースで戦績を残せるようになると、国体の選抜選手にも選ばれるようになり、4年生の時には全国大会で優勝を果たしました。

※1:ロードレース:公道を閉鎖して行う、長距離の自転車レースのこと。数十kmから200km以上に及ぶものまであり、レースごとに平地や登りが組み込まれた様々なコース設定があり、全国各地で開催されている。

安井 雅彦 さんの写真 安井 雅彦 さんの写真

プロ選手として、
人生のすべてを懸けた1年間

全国大会優勝を契機に、人生の転機が訪れました。大手自転車部品メーカーのレーシングチームからプロになるチャンスをいただいたのです。大学時代は勉強と自転車を両立させねばならず、ずっと心の中で24時間を自転車に費やしたいという気持ちがあり、このチャンスを逃したくないと心を決めました。

本社の部長と面談した時、「ご両親は心配してないか?なぜプロになりたいのか?」と問われました。確かに、両親は応援してくれていましたが、同時にとても不安だったと思います。でも、やっぱり私は自転車が大好きでした。「大学院に進学して修士課程をとり、サラリーマンになる道もありますが、私は好きな自転車でどこまで行けるのか全身全霊を賭けてみたい。だから、自分を信じてチャレンジさせて欲しい」と正直に想いを伝えると、「こんな道、普通親なら心配するよな。でも気持ちはわかった。まずは、自分が納得いくまでチャレンジして全力でやってみなさい」と、本音で応えてくれました。周りを納得させるためにも、ここで頑張って自転車競技の本場ヨーロッパで活躍できる選手をめざし、プロの道に進むことになったのです。

プロ生活はわずか1年間でした。素晴らしいチームと文句無しの環境の中で、世界のプロを相手にレースをすることができ、これまでにない幸せな時間を過ごしました。一方で、どれだけ全力を振り絞っても思い描いていた成長曲線に乗りきれず、このままでは周りの選手と身体能力の差、技術の差を埋めることができないことも痛感しました。そして、1年で引退を決意したのです。

最後の沖縄のレースでは、コンディションもレース展開も最高に良く、山岳賞(山や丘の頂上付近の設定地点を通過した順位ポイントの合計を競う賞で、総合優勝とともに注目される賞)を獲得し、チームに爪痕を残すことはできました。しかし、優勝には遠いことも痛感し、悔しさと充実感の入り混じったラストレースになりました。

お世話になった部長に引退の挨拶に伺う時、「ダメだったか」と言われるだろうと覚悟していました。ところが、「今後人生を振り返ったとき、この1年間は絶対に人生で実りあるものになるはずだ」と力強く言っていただき、心が震えました。この一言が、私の迷いや悔しさを大きな自信に変え、次に踏み出す勇気を与えてくれたのです。

日立製作所の研究所が
新たな挑戦のフィールドに

引退後は、専念しきれずにいた研究をもっと深めたいという思いで大学院へ進学しました。学部生時代と同じ研究室で、ディスプレイの研究や光を使ったデバイスの研究に一心不乱に打ち込みました。日立との出会いは、研究室の先輩が日立製作所の研究所に勤めていたこと。日立での実体験を聞いたことがきっかけとなり、多様な事業領域の中で、世界中の人々や社会に役立つ研究ができるところに魅力を感じ、日立製作所に研究職として入社することを決意しました。

入社後はAIを研究するユニットに所属しました。最初は「クラウドネットワークの異常検出」というテーマで、企業の重要システムがダウンしてしまった時に、AIを活用して障害箇所と原因をいち早く検出するための研究に携わりました。次は、膨大なビッグデータをAIに読み込ませ、そこから出てくる予測の組み合わせを最適化する研究に取り組みました。研究所では、常に難題へと挑み続ける姿勢が私には心地よく、仲間や上司と熱く議論し、数々の難題を一つひとつ紐解いていく面白さがありました。

そして現在は、XAI(Explainable AI:説明可能なAI)の研究に携わっています。AIには、「どうしてこの予測結果を導き出したのか?」という予測プロセスがブラックボックス化しているという課題がありました。これでは、いくら正答率が良くても信頼性に欠けることから、それを説明可能にする技術がXAIです。特に安全性や信頼性が求められる自動車や医療領域などで、AI活用をサポートする技術として期待されています。私は、画像を入力データとするXAIの研究を行い、学会での発表に向けて準備を進めているところです。

安井 雅彦 さんの写真 安井 雅彦 さんの写真

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10年後、20年後、
自分の枠を超える
未来のために

入社2年目の時からはじめた挑戦があります。それが社会人ドクターへの挑戦です。研究職として働いてみて、日立製作所で取り組む社会課題と大学での研究がうまく重なり合ったら、もっと面白くなるという思いがあり、学生時代と同じ研究室で再び研究をさせていただいています。研究所には社会人ドクターで博士号を取得した人が多く、「その研究、面白そうだね。やってみなよ」と理解があることも後押しになりました。

この新たな挑戦への原動力となっているのが、息子と娘が生まれたことです。子どもたちにとって「自慢のお父さん」でありたいと願っています。そのためにも、人生は一度きりですから、“自分が楽しいと思えることを真剣にやる”、これがゆずれない思いです。挑戦せずに後悔することだけは絶対にしたくないですから、10年後、20年後も、楽しいと思える挑戦を続けて、自分の枠を超える未来を成し遂げていたいと思います。

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