フィジカルAIを支える技術要素とは?
「決められた手順を繰り返すロボット」から
手本を学んで「自ら適応するAI」へ――
現実世界を動かす
フィジカルAIの仕組みを専門家に聞く
2026/03/23
OVERVIEW
- 「プログラム」から「学習」へ 知能は“中”に宿る
- フィジカルAIにおける「3つの潮流」
- 処理の仕組みと「五感」の統合
- フィジカルAIのシステムアーキテクチャー
- フィジカルAIの安全設計とリスク対応
- フィジカルAIをどう社会に実装するか――日立の強み
物理世界と関わり、実際の物体や環境に作用する「フィジカルAI」が注目されている。従来のルールベース制御と何が違い、なぜデータドリブンな手法が“現場で”使えるようになってきたのか。
世界基盤モデルやロボット基盤モデル、4層アーキテクチャーなど、実装を支える技術の要諦を日立の専門家が解き明かす。
AIの次のトレンドとして「フィジカルAI」が注目されている。しかし、フィジカルAIが何を指すかについては、なお曖昧な部分も多いのが実情だ。
一般には、デジタル空間でテキストなどを扱う生成AIに対し、物理空間で「動作」を担うのがフィジカルAIだと捉えられている。フィジカルAIの代表的な技術潮流としては、現実世界の振る舞いを再現する「世界基盤モデル」と、現実世界で機械を動かすための「ロボット基盤モデル」が挙げられる。こうした技術を活用し、現実世界で適応的な挙動を実現させる点が、フィジカルAIの大きな特徴だ。その裏側を支える技術とは何か。従来のロボット制御との違いや仕組みについて、日立製作所(以下、日立)研究開発グループ ロボティクス研究部の田中航に聞いた。
「プログラム」から「学習」へ 知能は“中”に宿る
フィジカルAIと聞いて、ロボットを想像する人は多いだろう。では、ベルトコンベヤーの脇で特定の手順を繰り返す産業用ロボットなど、工場で長年稼働してきた従来のロボットシステムと、フィジカルAIによる制御は何が違うのか。田中は「大きな違いは『ルールベース』か『データドリブン(学習ベース)』かにある」と説明する。
「従来のロボットシステムでは、ロボットに特定の作業をさせる際、設計者が稼働環境や動作手順をルールとして定義する必要がありました。『センサーが部品を検知したら、アームを特定の角度に曲げてつかむ』といった具合に、動きをプログラムとして記述します。一方、フィジカルAIは『やってみせて』教えるデータドリブンな手法をとります。人間がロボットを動かして手本を示すことで、関節の角度や力の入れ具合といった動作データを取得し、それを学習したAIモデルを使ってロボットを制御します。したがって、事前にプログラムされていない対象物や状況の変化に対しても、過去のデータから適切な動作を推論し、柔軟に対応できるのです」
従来のロボットシステムとフィジカルAIで動かすロボットの違い(提供:日立。以下同)
プログラムされていない状況や想定外の変化にも、過去の経験から推論して柔軟に対応できるという。田中は「誤解を恐れずに言えば、従来のロボットシステムはロボットが動きやすい環境を人が整えたり動作条件を全て緻密にプログラム化したりすることから、『知能が外側』、つまり人間の側にあったとも言えます。対してフィジカルAIは『知能が内側』、すなわち学習済みモデルに宿ると言えるでしょう」と話す。
フィジカルAIの適用範囲は産業用ロボットや自動運転車といったハードウェアに限られない。例えば発電設備やプラント設備の制御がAI主導で行われる場合、フィジカルAIの一例と捉えられる。また、物理現象の振る舞いをデータから学習し、デジタル空間上で再現する動画生成AIは、世界基盤モデルの考え方を分かりやすく示す例として位置付けられる。
フィジカルAIにおける「3つの潮流」
フィジカルAIには、押さえておきたい3つの潮流がある。1つ目は前述した世界基盤モデルだ。現実世界の物理的な振る舞いを大量のデータから学習し、将来の状態予測やシミュレーションに活用される技術を指す。
「ボールを投げると落下する、ガラスに当たると割れるといった現象の振る舞いを、データに基づいて再現できます。ロボットや自動運転車のトレーニングにも使われます」
2つ目は現実世界で機械を動かすためのAI、ロボット基盤モデルだ。世界基盤モデルが「世界の状態を生成する」役割だとすれば、こちらは「身体の操作」を担う。「ロボティクスやメカトロニクスの分野で使う、いわば『身体を動かすための汎用の脳』です。関節の角度や力の入れ具合などのデータを学習して、それに基づいて設備やロボットに物理的な動作をさせるための指令を生成します」
3つ目は「デジタルツイン」。田中は「現在フィジカルAIの中核を担うAIモデルとしては、世界基盤モデルとロボット基盤モデルが大きな柱です」と説く。デジタルツインそのものはAIモデルではないが、フィジカルAIを構成するうえで不可欠な基盤技術である。
「現実世界の『双子』をデジタル空間上に構築する技術で、AIモデルの訓練で極めて重要です。未熟なAIモデルを現実世界で動かすのはリスクがあります。まずはデジタルツイン上で物理法則をシミュレーションして、効率的にトライ&エラーを繰り返します」
処理の仕組みと「五感」の統合
フィジカルAIも言語モデルも、いずれも深層学習を基盤とするAIだが、フィジカルAIは物理世界を制御するためのリアルタイム処理とフィードバック制御が不可欠になる。システム全体は、知覚(Perception)→推論(Reasoning)→制御(Action)→学習(Learning)の4つのサイクルで進む。
「ロボットはカメラやセンサーからの入力を受け取り、AIが次の動作を推論・生成します。生成された指令は、関節やアクチュエーター(駆動装置)に伝えられます。従来のロボットは『モノを認識する機能』『どう動くかの動作を計画する機能』をルールベースで別々に作っていましたが、フィジカルAIは入力されたデータから次の動作をより直接的に推論することも可能です。また、行動した後に得られたデータを再学習に生かせる点も特徴です」
フィジカルAIの処理の仕組み
高性能なフィジカルAIを実現するには、知覚の段階で複数のデータを統合する「マルチモーダル」への対応が重要になる。
「現在は知覚の中でも、カメラを使った視覚データと触覚センサーを使った力覚・触覚データの利用が中心ですが、今後は、そのほかの知覚データをより積極的に活用することになると思います。人間も同じですが、視覚だけでは器用に動けません。さまざまな感覚のデータを同時に取得して、それを一緒に学習させる必要があります」
フィジカルAIのシステムアーキテクチャー
フィジカルAIのシステムアーキテクチャーは、4つの層に分けて捉えられる。下から順に、現実世界と接する「物理レイヤー」、リアルタイムに推論や制御を行う「エッジレイヤー」、基盤モデルやデジタルツインでの学習やシミュレーションを担う「クラウド/プラットフォームレイヤー」、ユーザーが利用する「アプリケーションレイヤー」だ。
「重要なのは、エッジレイヤーの処理速度です。入力から出力までに何秒もかかるのでは、現場で動くフィジカルAIとしては通用しません。『大脳で考えて動く』というより、『小脳や脊髄で反射的に動く』ことが求められます。そのため、エッジ側のコントローラーにはミリ秒オーダーで反応できる設計が必要です。振動などの過酷な環境に耐えるハードウェアはもちろん、エッジに実装できる規模のAIモデルも欠かせません」
AIモデルの実装アプローチについて、行動計画を立てる「大脳の役割を果たすAI」と状況に合わせて素早く動く「小脳の役割を果たすAI」など、特徴が異なる2つのAIを組み合わせている事例もある。
「役割に応じてAIを使い分けるほか、全てを1つの巨大なAIで処理するアプローチや小さなAIモジュールを複数組み合わせるアプローチもあります。システム構成の最適解については、まだ定まっていません。日立も含め、各社が研究開発でしのぎを削っているところです」
フィジカルAIの安全設計とリスク対応
フィジカルAIは、生成AIと同様のリスクにも直面する。生成AIでは「もっともらしい誤り」を返すハルシネーションが問題になるが、フィジカルAIでも同様に「もっともらしい推論」でロボットが設計者の意図と異なる挙動を示すリスクがある。
「フィジカルAI固有の安全設計の指針や標準は、まだ発展途上にあります。ポイントは『AIの自由度をどこまで許容するか』です。AIは人間が思い付かないような解決策を導き出す可能性があります。最初からルールで縛り過ぎると、イノベーティブな能力を引き出せません。一方で、物理的なシステムは人命に関わるため、安全のためのルールも不可欠です」
このジレンマを解決する現実的なアプローチが「推論などはAIに自由に任せつつ、最終的な実行段階でガードレールを設ける」という手法だ。
「AIには自由に思考させつつも、『この範囲から外に出てはいけない』といった制約を設けます。設計はシンプルで安全を担保しやすい一方で、『AIならではの画期的な答え』をつぶしてしまう可能性は残ります。安全性を確保しつつAIの良さを解き放つ。これは大きな課題です」
フィジカルAIに必要な反射速度を実現するAIの使い分け
フィジカルAIをどう社会に実装するか――日立の強み
日立は、NVIDIAなどとの協業を通じて外部の優れたAIモデルを活用する一方で、目的や現場に応じた最適な規模のAIモデルを構築しながら、フィジカルAIの社会実装を推進している。日立のフィジカルAIの強みは3つある。
1つ目は、適材適所の「目利きと使いこなし」。田中は「NVIDIAとの協業でGPUや世界基盤モデル、ロボット基盤モデルの活用に取り組むほか、日立の知見や実績に基づいた現場特化型のAIモデルの構築にも注力しています。さまざまなモデルを使いこなすことで、お客さまにより良い体験価値を届けられます。このような適材適所での使いこなしができるのは、日立の強みです」と話す。
2つ目は、設計された範囲で学習を取り入れつつ、高速に動作する軽量な「エッジAI」。製造現場では、ルールベースのロボットは“段取り替え”に多大な手間がかかるが、日立のフィジカルAIは現場データを活用して動作を調整することで、現場の困りごとに素早く対応できる。
「巨大なAIモデルは学習や再学習に時間がかかり、すぐには使えません。日立が実現させたいのは、現場で『明日、違う作業をさせたい』と思ったときに、その場で動作を教えて、その日の夜にコンパクトなAIモデルを作り、翌日から使えるようにする世界観です」
3つ目は「ドメインナレッジ」。日立は、製造や物流、プラント、エネルギーなど多様な「現場」を持っている。一般的な生成AIがWeb上のデータを広く学習してきたのに対し、現場でAIを動かすには、熟練技能や暗黙のルールといったドメインナレッジをフィジカルAIに深く学習させなければならない。
「ドメインナレッジをどうAIに落とし込むかが大きな壁になりますが、日立は自らを『カスタマーゼロ』として、豊富な自社現場で先行実証できます。机上の空論ではなく、実装と検証のサイクルを迅速に回せるのです」
これらの強みを武器に、日立がめざすのは「フィジカルAIの世界一の使い手」だ。生成AIがデジタル世界の業務を変えたように、今後はフィジカルAIがリアルな現場業務を変えようとしている。日立がビジネスや社会の在り方をどう変えていくのか、今後に注目したい。
監修 田中航
日立製作所
研究開発グループ Digital Innovation R&D
モビリティ&オートメーションイノベーションセンタ
ロボティクス研究部 部長
博士(工学)
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