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『ひたち』1938(昭和13)年創刊 季刊 36ページ オールカラー
 

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2008年冬号

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2008年冬号[表紙]
 
特集   水の近代遺産探訪
    ――生き続ける遺産、使い続ける技術
 

日本の近代化を支えてきた「産業遺産」が注目されています。その屋台骨となったのが、ダムや運河、水道、水力発電といった治水・利水の技術。この分野には、今も現役で活躍する施設が多くあります。特集では日立ともかかわりの深い四つの「水」の近代遺産を取材、その歴史的役割をたどり、施設を維持し伝えていくための取り組みを紹介します。

 
 
コンテンツ
 
[特集] 水の近代遺産探訪
――生き続ける遺産、使い続ける技術
琵琶湖疏水――明治の総合開発プロジェクト
横浜水道――日本初の近代水道
三河島水再生センター――下水道の文化技術史
黒部川第四発電所――戦後日本を象徴するモニュメント
[インタビュー]水の近代技術
――何を、なぜ、どう使い続けるのか 高橋裕
 
[エッセイ] 技術に会う 11
生命とは何か、それは効果である
福岡伸一
 
[トーク] HITACHI FILE talk+(トーク・プラス)
世界初、環境負荷を減らすハイブリッド車両が走る小海線
徳山和男
再生医療用細胞の長距離輸送を実現した定温輸送サービス
井沼俊明
 
[グラフ] 日立紀行 3
  黒部――かつて、発電所建設の資材や作業員を運び、
今は観光客を乗せてひた走るトロッコ電車
 
[ルポルタージュ] 永瀬唯のサイエンス・パースペクティブ 11
冷蔵庫
――「食」の貯蔵庫の発達史
 
[ニュース] ダントツさんが行く! 10
  液晶テレビ
 
[コラム] 技術の日立・今昔 7
  乾電池
 
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水の近代遺産探訪――生き続ける遺産、使い続ける技術
 
琵琶湖疏水

(1890〜)――明治の総合開発プロジェクト

琵琶湖から京都市街まで30kmに及ぶ運河は、水運はもちろん、潅漑、水道、発電などの多様な機能をもち、京都の近代化を推進。自然の力をうまく利用した構造は時を超え、今では古都京都に欠かせない景観をなしています。日立は1936年、蹴上発電所に水車を納入しています。

 
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横浜水道

(1887〜)――日本初の近代水道

日本の近代水道は、外来文化の窓口・横浜から始まります。水源地からの水をろ過浄水し、都市へ送るという水のネットワークの誕生です。日立は1970年代後半から西谷浄水場に総合管理システムを納入。取水から導水、浄水、送配水まで、水道施設全体の効率的運用を支援しています。

 
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三河島水再生センター

(1922〜)――下水道の文化技術史

一方、近代下水処理システムは大正時代の首都東京において、当時の技術、建築、デザインの粋を集め誕生しました。1999年まで稼働していた赤レンガづくりの主ポンプ室は、国の重要文化財に指定されました。汚水処理の際、微生物を活性化させるため反応槽に大量の酸素を供給する送風機は日立が納入しています。

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黒部川第四発電所

(1963〜)――戦後日本を象徴するモニュメント

高度成長を象徴する一大プロジェクトが生んだ、高さ186m、貯水量2億立方mを誇る黒部ダム。その貯水は、導水管を通じて10km下流まで送られ、地下200mに建設された黒部川第四発電所で発電が行われています。日立製2基を含む4基の水車・発電機が稼働、発電された電気は大阪まで送り届けられます。

 
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[インタビュー]

高橋裕
(東京大学名誉教授
河川工学、水文学)

水の近代技術――何を、なぜ、どう使い続けるのか

自然と一体化した治水・利水技術は、環境への負荷も少なくないというマイナス面ももっています。こうした二面性を打開し、その価値を持続的に生かし、次世代の技術へと接ぎ木していくために求められる視点とは。

 
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[エッセイ]
技術に会う 11

福岡伸一
(青山学院大学教授
分子生物学)

生命とは何か、それは効果である

「現在、私たちのまわりには生命をめぐるさまざまな問題があります。たとえば遺伝子組み換えをめぐる是非、クローン技術やES細胞などの生命操作、あるいは臓器移植の問題など枚挙に暇がありません。実はこの背景には、一つの明確な生命観があります。それは、究極的に、生命とはミクロな部品が集まってできたプラモデルである、という見方、つまり機械論的な生命観です……」

一方で、分子生物学は全く別の生命観を暗示する。それは「部品」自体が常に分解・合成を繰り返し、その部品同士の動的なバランスが生命現象を生み出すという、流動的な生命のあり様だ。

 
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[トーク]

 
HITACHI FILE talk+(トーク・プラス)

日立グループのさまざまな取り組みや業界の最新動向を、キーパーソンの「talk(語り)」を通して紹介します。さらに「talk」のテーマを、「+(プラス)」で写真やダイアグラム、図鑑などに展開。

 
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徳山和男
日立製作所 電機グループ
交通システム事業部
車両システム本部
車両技術部 技師
世界初、環境負荷を減らすハイブリッド車両が走る小海線

2007年7月、山梨県・小淵沢と長野県・小諸を結ぶ小海線で、営業車として世界初のハイブリッド車両「こうみ」(キハE200形)が運行を始めました。ディーゼルエンジンとリチウムイオン蓄電池のハイブリッドシステムは、走行条件に応じて最適にエネルギー制御され、従来のディーゼルエンジンに比べ10%の省エネを実現、また窒素酸化物や粒子状物質などの有害物質も60%低減しました。

 
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井沼俊明
日立物流 技術戦略本部 技術開発部 副技師長
再生医療用細胞の長距離輸送を実現した定温輸送サービス

次世代医療として、培養細胞を用いた再生医療が注目を集めています。その培養細胞を安全に長距離輸送できる技術を日立物流が開発しました。

高純度パラフィンを用いた蓄熱材によって最適温度である37℃を発生、それを日立の冷蔵庫にも使われている真空断熱材で包み込むことによって、外気温25℃の条件なら45時間、一定温度に保つことを可能にしました。

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[グラフ]
日立紀行 3

黒部――かつて、発電所建設の資材や作業員を運び、
今は観光客を乗せてひた走るトロッコ電車


特集で紹介した黒部ダムの登場以前から、黒部峡谷にはいくつもの発電所が存在しました。その建設資材を峡谷奥深くへと運ぶため、1926(大正15)年に黒部峡谷鉄道の敷設が始まりました。現在は観光客にも親しまれているトロッコ電車を牽引する機関車のほとんどは日立製。1975年には鉄道友の会の「ローレル賞」を受賞しました。

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[ルポルタージュ]
永瀬唯の
サイエンス・
パースペクティブ
11

 
冷蔵庫
 
――「食」の貯蔵庫の発達史
 

科学技術ライターの永瀬唯氏が日立グループの現場や研究施設を歩き、レポートします。
日立は1932(昭和7)年、国産初の冷蔵庫を開発。冷蔵庫が日本の家庭に入るのは、戦後の1950年代以降のこと。'60年代に冷凍庫が登場、'70年代には2ドア型が主流になるころから、欧米とは異なる日本の食生活の多様性、複雑な食行動に対応するため、日本独特の冷蔵庫文化が形づくられていくのです。

写真
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[ニュース]
ダントツさんが行く!
10

液晶テレビ
 

“ダントツ”をこよなく愛する主婦ダントツさんが家電製品などを研究・紹介します。
今度の「Wooo UTシリーズ」は厚さわずか35mmの超薄型。モニターとチューナーを独立させ、モニターは2分の1の軽量化を実現。部屋の壁でも中央でも、自由なレイアウトが可能に。

 
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[コラム]
技術の日立
今昔
8

乾電池
 

アルカリ乾電池が日本で発売されたのは1964年。従来のマンガン乾電池に比べ大電流に強く、容量は約2倍に。ポータブル家電やデジタル機器に欠かせないエネルギー源として普及してきました。

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国産初の
アルカリ乾電池
(1964)
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アルカリ乾電池
「ダイナミック」
(2007)
 
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『ひたち』第70巻第1号(冬号) 2008年1月1日発行 定価315円(本体300円)

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