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最高難度のプロジェクトと、対峙しつづける。刺激的な試行錯誤が「導く力」を鍛えた。 システムエンジニア 公共システム事業部 官公ソリューション第三本部 官公システム第五部 2001年入社 応用科学科 修了 内門 隆治最高難度のプロジェクトと、対峙しつづける。刺激的な試行錯誤が「導く力」を鍛えた。 システムエンジニア 公共システム事業部 官公ソリューション第三本部 官公システム第五部 2001年入社 応用科学科 修了 内門 隆治

主なキャリア歴

◎2001年4月、入社と同時に公共システム事業部へ配属。当初からサブリーダーを務め、チームリーディングを学びながら顧客との対面折衝も経験。
◎2005年、大規模認証システムの構築プロジェクトにおいて、プロジェクトリーダーに就任。難易度が高いプロジェクトの進捗管理や品質向上に尽力。
◎2008年、北米のグループ企業にて1年間の海外業務研修。現場にて開発スタイルの違いを学ぶ。
◎2009年から2012年にかけて、複数の大型案件のプロジェクトリーダーを歴任。社内外の注目を集めるプロジェクトでさまざまな問題解決を行い、成功に導く。ベトナムでの大規模オフショア開発も指揮。
◎2013年、大手クライアントの特定領域における統括責任者となる。上位マネージャーとしてアカウント活動全般を統括するほか、収益責任も負う。
◎2017年、独立行政法人のアカウントSE統括マネージャーに就任。課員の育成やマネジメント、今後を見据えた事業企画にも着手。

現在の仕事

日立と半世紀にも及ぶお付き合いがある、住宅系の独立行政法人。現在も10あまりのプロジェクトが進行中ですが、その統括マネージャーを務めています。社内外合わせて80名近いSEチームのトップとして、開発現場をはじめとする各部門と連携し、お客様と向き合い、プロジェクトの円滑な進行を司っていくのです。公共系のシステムは、スケールの大きさはもちろんのこと、この国の生活基盤に関わるという意義においても特大。その分、責任も魅力もたっぷりの仕事だと言えますね。また、事業部のこれからを考えた企画立案も私のミッション。IoTなどの新しい潮流が次々に生まれる中、日立は何に着手し、何をお客様に提案していくべきか。目の前だけではなく、10年後にまで視線を投げかけての構想を練っているところです。

内門 隆治

22 25入社と同時にリーダーへ。
日立が掲げる「フロント」の価値を、まさに最前線で体験。

「リーダーをやってみろ」。それが私の初仕事でした。お客様は、情報系の独立行政法人。それまで手作業やペーパーに頼っていた業務を電子化するという案件。当時は電子政府への取り組みが本格的に始まったころで、いわばその先鞭をつけるプロジェクトです。

任されたのはあくまで一領域で、メンバーといえば協力会社の5名とこじんまりしたもの。でも、リーダーはリーダーです。システムの知識もおぼつかなければ、プロジェクトマネジメントのノウハウもない。そんな私が不思議と尻込みしなかったのは、どっしりと頼りがいのある先輩たちに囲まれていたからかもしれません。うるさいことは言わない。でも、いざとなったら飛んできて、鮮やかに解決法を差し出してくれる。なんとも心強いOJT環境です。

提案から設計・構築、保守・運用までの一連の業務を、現場でいち早く経験できたこと。それももちろん嬉しかったのですが、リーダーを務めたことによる最大の収穫は、日立が大切にしている「フロント」という概念を身をもって体験できたことでしょうか。お客様のところへ足を運び、じかに向き合う。第一線で、団結してプロジェクトを前進させる。1年目からその現場に身を置けたことが、いまにつづく私の「基礎体力」になっています。

26 30火消しのつもりが、自分が火種に。
修羅場をくぐって、プロジェクトを軌道修正。

内門 隆治

28歳で、修羅場を迎えました。

自動販売機における、購入者の認証システム構築というプロジェクト。約50名からなる大所帯のリーダーに抜擢されたのです。私が「まずいな」と思ったのは、スケールよりもシチュエーション。システム自体はすでに構築に取りかかっていたのですが、これがじつはトラブル続き。品質が到達しない。納期に間に合わない。そこに加わった私がまずやるべきは、トラブルの解消とプロジェクトの安定化でした。

この案件には、「プライムベンダー」と呼ばれる、幹事のような役目をする別会社が入っていました。私たちはプライムベンダーが定義した要件のもとで開発にあたるのですが、その要件があいまいだったりすることもしばしば。本来であればきちんと指摘して仕切り直すべき場面なのに、経験の少なかった私はそれをスルーし、結果として必要以上のタスクを抱えることに。その状況がさらに別のトラブルを生み、私は火消し役どころか、いつのまにか火種をばらまいていたのです。最終的には、お客様が要件のあいまいさに気づいたことで改善に向かいましたが、もっとクレバーなやり方もあったはずだと反省しきりでした。

それでも、最初から問題を抱えていたプロジェクトを軌道に乗せ直し、システムの稼働にこぎつけたことは大きな自信となりました。また、サービス全体のデザインとコントロールを手がけるプライムベンダーというポジションがいかに優位か、痛いほど学んだことも付け加えておきます。

31 35ベトナムでの大規模なオフショア開発。
国境を越えた綱渡りで、信頼関係をつなげ。

米国Hitachi Consulting Corporationへ海外業務研修に出かけ、数々のプロジェクトでリーダーを務め……。この時期の私は、自分にとってのマイルストーンと呼べる経験をいくつも重ねました。中でも思い出深いのは、34歳の時にプロジェクトリーダーとして関わった案件です。とある企業の社内業務システム構築。その企業とは以前からお付き合いがあったのですが、領域としては初めての挑戦。おまけに、ベトナムでの大規模なオフショア開発を伴うプロジェクトでもありました。

初ものづくしの案件でもあり、開発前のプロファイリングは充分に行ったつもりでした。けれど、なじみの深いお客様ということもあり、どこかで楽観的に構えてしまっていたのかもしれません。フタを開けてみると、想定をはるかに超える難易度とボリューム。あわててプロジェクトリーダーの人数を増やし、役割を分担せざるを得なくなったのです。私はベトナムでの開発指揮を執ることになりました。何度となく現地に通い、時にはひと月ほど張り付いたことも。開発ボリュームに対応するため、ベトナム側のスタッフも300名ほどに膨れ上がっていました。それでも、必要な作業量に追いつくかどうか。冷や汗をかきながらの綱渡りです。

けれど、悲壮感はありませんでした。「どうにかしてやりきってみせる」。そんな前向きな空気が、プロジェクト全体に充満していました。お客様が、難易度の高さを十二分に承知した上で、日立と一枚岩になって課題解決にあたってくださったことも大きかったと思います。すべてが予定通りとはいきませんでしたが、2年間にわたる奮闘ののち、システムは無事に稼働。「よくぞ乗り切った」。そんな評価をお客様からいただくこともできました。長年の信頼を裏切ることなく、次につながる仕事ができてほんとうによかった。そう胸をなでおろしたことを覚えています。

36 40自分を鍛えた環境を、部下へ。
組織のマネジメントを通じて、主体性のあるSEを育てる。

内門 隆治

こうして振り返ってみると、私の成長の歴史とは、失敗を乗り越えてきた歴史なのかもしれません。裏を返せば、それだけ難易度が高く、新たな挑戦にあふれたプロジェクトを常に託されていたとも言えます。私自身、大きな期待をかけられていることをひしひしと感じながら、プロジェクトの遂行に力を尽くしてきました。

「期待されるSE」とは、どんなSEなのか。定義は人それぞれだと思いますが、私にとってその条件とは「主体性」です。与えられた指示に応えるだけではない。最善と思われる手段を自分で組み立て、周囲を巻き込みながら実践していくこと。そんな主体性の源になるのは、やはり仕事に対する責任感です。特に私の場合、公共システムという影響力も注目度もケタ違いの領域を手がけていますから、とりわけ責任感が芽生えやすいのかもしれません。

私はいま、プロジェクトはもちろんのこと、組織のマネジメントも手がける立場です。筆頭課長としてメンバーを引っ張り、育て上げるという新しいミッションも背負っています。これまでの私がそうだったように、「期待して任せる」ということを基本方針に、こまやかな目を部下の一人ひとりに注ぎながら、強い組織づくりを実現していきたいと考えています。

今後の野望

日本を代表する電機メーカーであること。それが、私の入社動機のひとつ。実際に飛び込んでみて、日立は想像以上のポテンシャルを秘めた企業だとあらためて実感しました。たとえば鉄道や発電所といった、国そのものを支えるインフラでさえ実現してしまう力がある。このポテンシャルを最大限に活かし、これまで以上に大きな社会的インパクトをもたらせるよう、組織を導いていきたいと考えています。主な舞台は、やはりグローバルということになるでしょうか。あくまでも一例ですが、海外における街づくりのように壮大なプロジェクトがあったとして、日立はその中心になることができるはず。私も積極的に海外に目を向けており、インドの現地企業とコラボレーションする可能性を探ったりと、さまざまに動き出しているところです。ただ、「これがやりたい」と明確に目標を定めることは、あえてしません。かえって可能性を狭めてしまうことにもなりかねないからです。日立という限りないキャパシティに、みずから限界を決めてしまうのはもったいない。あらゆる可能性に胸を開きながら、「これぞ」というプロジェクトに出会い、仕掛けていきたいですね。

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