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一人称で仕事ができる、強いチームを作る。これまでも、これからも、ずっと変わらずに。 営業企画 富川 めぐみ ヘルスケアビジネスユニット 営業企画本部 営業企画部 担当部長 1992年入社 学芸学部 国際関係学科 卒 一人称で仕事ができる、強いチームを作る。これまでも、これからも、ずっと変わらずに。 営業企画 富川 めぐみ ヘルスケアビジネスユニット 営業企画本部 営業企画部 担当部長 1992年入社 学芸学部 国際関係学科 卒

主なキャリア歴

◎1992年、金融ビジネス部門の国内向け営業企画部に配属。上司と一緒に営業計画の策定や目標達成度の管理などを行い、営業企画の仕事を学ぶ。
◎1995年、同部署にて、全国の顧客に向けたソリューションを企画・提案する役割を担う「ソリューション営業企画」に配置転換。その後、ポジションも主任・部長代理と上がり、ストラテジースタッフ領域の仕事も担当。
◎2005年、米国語学研修派遣制度を活用してオクラホマの大学へ。翌2006年から営業部へ異動し、特定顧客を担当する「アカウント営業」に。部長代理として海外SIビジネスも推進。
◎2017年10月、営業企画部の担当部長としてヘルスケアビジネスユニットへ異動。

現在の仕事

実は、私はいま在籍しているヘルスケアビジネスユニットでは新人です。約25年を過ごした金融ビジネス部門(現ビジネスユニット)から異動したばかり。だからこのページでのお話も、次の段落からは金融ビジネス部門での経験が主になります。ヘルスケアビジネスユニットでの私のポジションは、国内向け営業企画部の担当部長。病院・医療機関、医師・医療従事者などを顧客とし、営業戦略立案や新サービス・ソリューションの販売戦略立案、各支店のサポートなどをマネージしています。ヘルスケアビジネスユニットは、2016年4月に再編された新しい組織。完全子会社だったふたつの会社と日立製作所が一緒になりました。私の異動前から、すでに業務プロセスや制度の改革、拠点体制の再構築が進められてきました。現在の私はソフト面でのPMI(組織統合)、人や文化の融合を推進中です。しかし単なる融合ではありません。私が強くこだわっているのは、それぞれの元来の良さや持ち味を育みつつ、より強いチームにしていくこと。そしてその成果を日々の営業活動につなげていくこと。新天地で私はいま、このテーマの実践に全力をあげています。

富川 めぐみ

22 25手探り状態の新人時代。
日立を学び、ビジネスを学ぶ。

入社後の仕事は、金融ビジネス部門の営業企画。デスクワークが中心でした。最初は右も左も分からない状態。それなのに大失敗をした記憶がないのは、失敗するほどの働き方ができていなかったからかもしれません。「仕事を通じて社会に貢献したい」という想いで入社したものの、思い描いていたようにはいかず、現実の壁にぶつかり暗中模索。仕事が忙しくて辛いというよりも、全体像が見えず、自分の仕事がどう機能しているのかが見えていなかった。それに当時は女性の総合職社員も少数。心もとない気持ちになることもありました。

それでも頑張れたのは、私をきちんと見てくれている上司がいて、思い悩んでいる時には業務のアサインメントを変えてくださったり、色々な配慮をしていただいたからでした。そしてやはり、日立の事業の社会的意義の大きさを感じていたのだと思います。金融システムは経済と生活の血脈。その血脈を支えるための一翼を、たとえ微力でも自分も担っている。そう思うと気が引き締まりました。

この期間の経験で、以後のキャリアの土台が築かれました。日立の商材にどんなものがあるかが理解できたこと。金融業界全体への営業戦略や顧客への個別営業戦略について学べたこと。そして、営業部だけでなく、経営企画部門や事業部門などの様々な職位の方と関係性を築けたこと。顧客への提案が、営業部門だけで成立しているわけではないと認識できました。エンジニア、工場の技術者、IT系戦略部門のストラテジースタッフなど、いろいろな人たちとの関わりを経て、営業陣がお客様のところへ提案に行くのです。たくさんの人の関係性で価値を提供している日立のビジネス構造を学べました。

26 30インターネットバンキングの黎明期。
20代で挑んだ、総力戦の事業立ち上げ。

富川 めぐみ

時代は金融基幹システムのオープン化が始まる転換期。私は顧客とも直接向き合うソリューション営業企画になり、新しい事業を立ち上げる経験に恵まれました。全国の地域金融機関でインターネットバンキングを商用化するための一大プロジェクトでした。グループ会社を含めたエンジニアや各支社の営業をはじめ、多数の関係者が参画。私は顧客との間に立って推進役を務めました。今では誰もが当たり前に利用しているインターネットバンキングですが、当時はまさに革新。新しい「血脈」を創造するという話ですから知見もありません。

まずは全国の地域金融機関との共同研究会を約1年半にわたって開催。実証実験を進め、ボトルネックになりえるイシューをひとつひとつ洗い出しました。その後も5年以上にわたって全国の地域金融機関に対する受注活動を担当。さらに他社とのアライアンスも推進しました。例えばモバイルネットワークと連携させるための通信キャリアとの提携や、コールセンターを設けるためのITアウトソーシング会社との提携です。

まさしく社内外の壁を超えた総力戦のプロジェクト。たくさんの関係者と協働したことで、深く悟ったことがふたつあります。ひとつはチームワークの大切さ。日立のビジネスにひとり相撲は通用しない。全員で同じゴールをめざす団結力がなければ大きな事は成せないと痛感しました。ふたつ目は、一人ひとりが顧客へ価値を提供する責任者として、一人称で仕事をする心構えの重要性です。常に全体に目を配りながら、顧客へのアウトプットにつなげていく当事者意識。これが欠かせないと肝に銘じました。また、私はこのプロジェクトの過程で、主任として少数のメンバーをもつようにもなりました。私のライフテーマとなっていく「それぞれが一人称で仕事をする強いチームづくり」。その第一歩目を踏み出しました。

31 35チームの成果を下げずに、個を育てる。
身にしみた人財育成の難しさ。

20代後半がひとつのソリューションを深耕する時期だったとすれば、30代の前半は自分の幅を広げる時期でした。地域金融機関とのお付き合いだけでなく、M&Aの検討やメガバンクとのアライアンス業務など新境地の仕事にも従事。そしてポジションも主任から部長代理へとステップアップ。自らもプレイヤーとして奔走し、約5名の若いメンバーを育成しながらチームパフォーマンスの最大化に努めました。

しかしやはり人財育成は難しいものです。メンバーによって個性も経験値も違えば、感受性や考え方も違います。その違いを理解して育成にあたる必要がありました。それぞれの長所を伸ばすのも大事ですが、適性のある仕事ばかり任せていたら、本人のキャリアパスにも不利益になりかねません。だから不得手なことにもチャレンジしてもらうように心掛けましたが、そうするとチームとしての目標に届かないということも起こりがちです。個々の成長とチームパフォーマンスのバランスをとりながら、仕事をアサインすることの難しさ。苦労しながらも学びを引き出せたことが、その後さらに多くのメンバーをまとめる立場になる私の礎となりました。

一方では、個性の違いを越えて、ことあるたびに全員に伝えていたこともあります。それはやはり「一人称で仕事をしよう」「全体を見て仕事をしよう」ということ。新人だろうと、小さな案件であろうと、自分の仕事の責任者は自分。責任者としてどうしたいのか?どうすべきと考えるのか?意志をもって行動しようと常々伝えました。

36 40初めての、そして無念の
海外向けSIプロジェクト。

この時期は飛躍のステージであり、教訓のステージでした。特定の顧客をもつアカウント営業にキャリアチェンジし、ポジションも営業現場の責任者である部長代理に。ひとつの顧客を部全体で担当するという大がかりな体制のもと、お客様の懐に深く入り込んでビジネス課題の解決を支援しました。最前線で顧客と向き合う日々の中、先人たちが築いてきた山の巨大さも認識しました。いかなる案件もポッと出て生まれるわけではないのです。永く脈々と培われてきた関係性の上に、自分もメンバーも立っている。自分たちがさらに高い山を築き、未来へ継承していかなければならない。そんな意識が強く芽生えた頃でした、初めて海外SIビジネスにチャレンジすることになったのは。

このチャレンジにあたっては、非常に役立った経験があります。それはすでに参加を終えていた、米国語学派遣研修の留学。これが単なる語学研修ではないのです。あえて日本人がいない地域へ行き、たとえ英語が苦手であろうと、現地での生活の立ち上げも含めて全てを独力でやるというスパルタ式。勇気がいりましたが、おかげで言葉の壁だけでなく、気後れしてものが言えないというような心の壁も取り除かれました。

営業の現場責任者として参画した海外向けSI案件は、顧客のグローバル事業展開に伴い、某国での金融基盤システム構築をご提案するというものでした。しかしこれが痛恨の結果に終わります。顧客のご期待にかなう提案ができずに敗退。現地拠点と私たちの部門の間で、グローバル案件を実現するためのオペレーション体制が不十分だったことが敗因でした。私の手では及ばない体制上の問題だったと、いえばいえるかもしれません。しかし自問自答を繰り返しました。「自分はやれることを100%やったと言い切れるだろうか?」。いくつもの反省点が出てきました。「自らがもっと率先して現地拠点の人も動かし、グローバルレベルで強いチームづくりをするべきだった」。「海外SIビジネスの優れた知見のある協力者を探して、もっと情報を集めるべきだった」。こうした反省が、次回に活かされることになります。

41 45開いたグローバルSIビジネスの扉。
海を横断して鍛えられたチーム力。

富川 めぐみ

次こそはと挑んだ、新たな海外案件。前回とは違う国々での金融基幹システムの立ち上げを、同じ顧客に提案するプロジェクトでした。私が心掛けたのは、起こりえる問題を予想して先に動くこと。自分から動き、人を動かすこと。準備期間を充分にとり、基本的な取り組み方針を整理して万全の体制で臨みました。現地拠点との連携をいっそう強め、日本とは異なる業務プロセスや商習慣を早期から教えてもらう。グローバルSIビジネスに明るい方々から、社内外を問わず知見をいただく。結果、当時の金融ビジネス部門では初となる海外向けSI案件を受注できました。先人たちが築いてきた山を積み上げられた気がします。

自分もメンバーたちも、海を横断しながら挑んだプロジェクト。その経験はチームをレベルアップしてくれました。プロジェクト管理や品質などに関する考え方の多様性を理解しながら、チームとしてグローバル案件を進める経験ができたこと。それが大きな成果を生みました。その頃のプロジェクトメンバーたちがいま、グローバルSIビジネス推進のコア人財として活躍してくれているのです。私もまた数十回の出張に加え、2年半にわたるシンガポール駐在を経験しました。その中で再認識したのが、文化や価値観の違いを前提に関係性を築くことの大切さ。これは国の違いに関してだけの話ではありません。例えば同じ日立の中でも、ビジネスユニットが異なれば文化が違う。私はその後ヘルスケアビジネスユニットへ異動しますが、この時期の異文化経験が適応の一助になっています。

海外で仕事をしてみて、強く実感できたことがもうひとつあります。それは、やはり日立はいわゆるメーカーでは括りきれない、世界でも稀有なコングロマリットなのだということ。新興国へ行くほど実感しました。道路交通、発電所、水インフラなど、多岐にわたる日立の事業が国々の社会を支えている。そしてそうしたインフラを何十年もかけて創り上げ、現地に根付いているからこそ、私たちがSIビジネスを展開することも可能なのでした。

今後の野望

異なるビジネスユニットへの異動は、業界を変えて転職するのと同じようなキャリアチェンジです。ヘルスケアビジネスユニットに来た私には、またまた新しいチャレンジの日々。生涯を通して成長できる日立のフィールドの広さにあらためて驚き、嬉しく感じているところです。日立はヘルスケアビジネスを成長戦略の大きな柱に位置付けています。MRIや超音波などの既存の診断装置に加え、ITやビッグデータを最大活用した、広範な製品・サービス・ソリューションを提供できる総合力が日立の強み。日本だけでなく世界でも高齢化が進展する中、私たちだからこそできる社会のための新しい価値創造を実現したいと考えています。例えば地域包括ケア、医療機関経営改革、医療費の増大、医療格差といった社会的課題の解決。こうした難題に立ち向かうには、単なるモノ売りビジネスでは不充分なことはもちろん、ヘルスケア業界以外の価値も連動させるオープンイノベーションが必要です。求められているのは、従来のビジネスの枠組みを越えた新しいサービスやソリューションの創造。そしてそのようなビジネスが、日立がコア事業に掲げている社会イノベーション事業です。「新しい風を吹かせてほしい」と異動時に上長から言われたことを思い出します。“ヘルスケア×他業種”による、新しい社会イノベーション事業の創出。私にはそんな期待も寄せられているはずです。金融ビジネスユニットとの懸け橋にもなりながら、インパクトのあるヘルスケアイノベーションを実現したいと思います。

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