「自分はあこがれの熱意に燃えて飛ぶ矢だろうか?」こう自問する習慣を持つ人は、すでに教育の門の内側に立っていると齋藤先生は教えてくれました。

将来、教師になりたいという若者には、教育は文化を継承する重要な仕事なんだということを理解してほしいですね。義務的にやる仕事ではないし、才能がない人のやる仕事でもありません。
教育は文化の継承だということが、体の感覚でわかっていない人がこの仕事につくのは、僕は害になると思っているのです。
学校というのは文化継承の場です。あいさつするのも一種の文化ですし、歴史を教える、国語を教える、数学を教えるのもすべて文化なんです。文化をきちんと継承するという場所をつくらないと、高度な社会というのは再生産できません。
教師には、「自分はこういう文化を背負っているんだ」という強い誇りを持って、堂々とやれる人が必要です。「君たちにどうしても伝えたいことがある。だから、そこに黙って座っていてもらっているんだよ」という文化に対する強い情熱を持っている人ということですね。

例えば、漢字1つ教えるのにも、「漢字文化というのはこんなにすごいんだ」ということを、漢文学者の白川静*さんは言うわけです。白川さんは、「遊ぶ」なら「遊」という漢字1字に感動できるわけですね。その感動を子どもたちに伝えます。すると、子どもたちは漢字1字で「へーっ、すごいね」となるわけです。
さらに、三角形の内角の和が180度ということを、ただ教えたら感動はありません。でも、数学者の秋山仁*さんは、「あらゆる三角形の内角の和が180度ということはすごいことなんだ」と、身振り手振りを交えて力説します。すると、三角形の内角の和が180度というのはすごいことだと伝わるんですね。
その感動が、ほとんど無感動に伝えられてしまっている授業というのは、言葉はきついですが、ちょっと犯罪的ですね。せっかくのすばらしいものを、すごく目減りさせてしまいます。
金塊を鉄くずに変えてしまうというか、無感動の場合は、子どもがつまらないものだと思ってしまい、その教科に興味を失います。そうならないために、教師は自分自身があこがれに向かって飛ぶ矢でないといけないのです。

あこがれを伝えるためには、教室に入る前の準備が必要です。教室に入る前に、廊下で10秒ぐらい軽くジャンプをしてテンションを上げてみてください。すると「今日はすごい授業をやるんだ! 江戸時代というのは本当にすごい時代なんだ! 世界史的に見てもおもしろ過ぎる!」と、自分自身が染まっていきます。
すべての授業を「すごい、すご過ぎるよ、○○」を基本に考えてみましょう。「すごい、すご過ぎるよ、明治維新」とか、「すごい、すご過ぎるよ、元素の周期表」とか。あこがれの矢で教師自身が飛んでいる状態だと、子どもたちはその矢に反応して、あこがれていきます。
僕の教え子はほとんど先生になっているのですが、夜中の2時まで授業の準備をしてもまったく疲れないといいます。明日の授業で生徒たちが喜ぶと思うと、それで疲れも吹き飛んでしまうのですね。