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環境への取り組み

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「ライフワークとしてエコ活動を続けるキャスター&気象予報士」根本美緒さん フリーキャスター、気象予報士として活躍しながら積極的にエコ活動に取り組んでいる根本美緒さんにお話を伺いました。

(2011年8月掲載)

人情味あふれる下町で育ち、人と話すことが大好きに

東京、佃島出身の根本さん。下町ならではの人情味あふれるご近所づきあいが、のちにアナウンサーとしてご活躍される根本さんの、誰とでもお話できる気さくな性格を育んだようです。

話をする仕事に就いたのは、下町で人と触れ合いながら育ったことが大きいですね。

根本さん私が育った東京、佃島は、古い街並みが残る下町です。学校から帰ってくると、縁台に座っている近所のおばあちゃんが「おかえり」って声をかけてくれて、お話したり…。ときにはしかられることもありました。名前もわからない間柄でも、顔見知りというだけで交流が生まれるような、人情味あふれる環境でしたね。

子どもの頃の私はとても活発で、いわゆる「おてんば」(笑)。学校から帰ると公園に行って、そこにいる誰とでも楽しく遊んでいました。佃島にも探検できるところがたくさんあって、走り回ってましたね。自転車でお台場のほうまで行くこともありました。当時は今より自然が残っていて、子どもたちの格好の遊び場でしたよ。

現在の佃島は、高層マンションが建つなど景観がだいぶ変わりましたが、今でもたまに遊びに行くと、見知らぬおばあさんが会釈をしてくれるんですよ。今、私がこの仕事に就いて、いろんな方々と臆さずお話できるのも、佃島で人と触れ合いながら育ったことが大きいと思いますね。

「世の中を変えよう!」熱い思いを抱きながら、大学で環境経済を学ぶ

根本さんは慶応義塾大学経済学部に進学。「環境経済学」に出会ったことで、環境問題への関心がどんどん深まっていきます。

リサイクルを推進するためにも、みんなの環境意識を高めることが大事だと思うんです。

根本さん私が環境問題に強い関心を抱いたのは、大学3年生のときです。島田晴雄先生(元慶応義塾大学経済学部教授、現千葉商科大学学長)のゼミに入り、「環境経済学」を学んだことがきっかけでした。

ゼミでは、ゴミ問題やリサイクル、なかでもペットボトルのデポジット制(*1)を中心に研究していました。先生はいつも「机上の空論ではいけない」と、自分の足で調べることの大切さをさかんにおっしゃっていました。だから、ゼミの仲間はとても活動的。学内のごみ箱を調査したり、京都にデポジット制を導入している学校があると知れば話を聞きに行ったり…。古紙回収業者の車に乗って調査もしました。みんな「世の中を変えよう!」っていうくらいの熱い思いを持って研究に取り組んでいましたね。

そんななか、私はリサイクルを推進するためには、みんなの「環境意識」を高めることが大事なのでは、という思いがどんどん強くなっていきました。おそらく、環境意識が高い人は、デポジットの返金額が5円だろうと1円だろうと、金額に関係なくリサイクルに協力するに違いない、と考えたのです。

では、より多くの人たちの環境意識を高めるにはどうすればよいのか…。そこでいきついたのが、「環境教育」です。卒論では、私が幼稚舎から通っていた慶応の一貫教育をモデルに、環境教育のあり方、子どもの頃から環境の知識を教えていくことの大切さについて論じました。

*1
デポジット制:製品価格に容器などの「デポジット(預かり金)」を上乗せして販売し、購入者が製品使用後に容器を返却したとき、預かり金を返金する制度。容器の回収率を高めリサイクルを促進する効果が期待される。

アナウンサーの仕事をしながら、気象予報士になるため猛勉強

大学卒業後、環境問題をもっとみんなに伝えたいという思いからアナウンサーになった根本さんが、最初に担当になったのは天気予報でした。

宮城のみなさんのあたたかい応援のおかげで、くじけず、念願の気象予報士になれました!

根本さん大学で環境教育についての卒論を書き、ではそれをもっと訴えるにはどうしたらいいのかと考えたとき、周りのすすめもあって報道の道を選びました。そしてキャスターになったら、「環境問題」をテーマに活動していこう、と心に決めていました。

ところが晴れて内定が決まった東北放送でお天気コーナーを担当することになり、「低気圧を説明できますか?」と聞かれ、何も答えられない自分にショックを受けました。環境問題を一生のテーマにすると言いながら、私はリサイクルのことしか知らなかったと気づいたんです。

そこで、その日のうちに本屋さんに行って「気象予報士」の本を買い、資格取得に向けて勉強を始めました。ちゃんと自分の言葉で説明できるようになるために、目標を持って知識を身につけようと思ったのです。仕事をしながらの勉強ですから、毎日のスケジュールを細かく書いて、収録の合間などのわずかな空き時間をみつけては勉強に励みました。

かなりハードでしたが、職場の人たちだけでなく、放送局の地元である宮城の方々も応援してくれたんですよ。出演している番組で気象予報士をめざしていることを伝えていたので、行く先々で「頑張って」と声をかけられて。八百屋さんが「これ食べて頑張れ」とネギをくれたこともありました。周囲の人たちのあたたかい励ましがあったからこそ、くじけずに頑張れたのだと思います。

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