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環境への取り組み

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「笑顔と感動を届ける工業デザイナー」水戸岡 鋭治さん 鉄道や建築などのデザインを手掛けられる水戸岡鋭治さんに、デザインに求められるエコや自然素材のこと、今後の夢についてお伺いしました。

(2012年10月掲載)

岡山の自然で、心豊かに育った幼少時代の記憶

鉄道、フェリー、駅舎、ホテル…とさまざまな公共デザインを手がけられている水戸岡さん。水戸岡さんのデザインした空間は、かっこよく斬新でありながらも、どこか懐かしさを感じさせる雰囲気があります。水戸岡さんは幼少の頃、どのように過ごされたのでしょうか?

水戸岡 鋭治さん僕は岡山出身で、父のふるさとである吉備津で育ちました。かやぶき屋根の古い日本家屋で、家族が集まる庭があり、まわりには自然があふれていましたね。

子どもながらに、自然が移り変わる風景を美しく感じていた記憶がありますよ。小学校1、2年生の頃、よくひとりで近所を散策していたんです。3月のまだ肌寒い時期に小川沿いを歩くと、魚が集まる場所を発見したり、道端に咲く「ねこやなぎ」を見つけたり…。生き物が春へと向かう、なんともいえない躍動感を感じていました。小さい頃からまわりの植物や昆虫を見て、触って、匂いをかいで…と、五感をしっかり使って自然に触れていました。あの頃に培った感覚が、僕のデザイナーとしての原点ですね。

出身は岡山の吉備津。自然と人との触れ合いの中で、豊かに育った記憶があります。

水戸岡さんが描いた、幼少期をすごした家
水戸岡さんが描いた、幼少期をすごした家

水戸岡 鋭治さん吉備津の風景と一緒に思い出すのは、両親や親せき、近所の人たちと過ごした豊かな時間です。戦後間もない頃、大人たちは戦争の傷跡が残る中、失ったものを取り戻そうと必死になって働いていた。けれども、お正月や祭りなどの特別な日には大勢で集まって夜中まで楽しく騒いだりしていました。今より経済的には貧しい時代でしたが、人々は生きることや働くことに前向きで、活力に満ちあふれていましたね。

子どもたちはみな、家族や近所の人たちに見守られ、大事に育てられていました。僕のまわりにも、親しい農家のおじさんや近所のお兄さんがいて、いつも面倒を見てくれましたよ。そんな風に、毎日まわりの人たちとコミュニケーションしながら、あふれる自然に五感で触れつつ育った幼少時代。今振り返ると、僕にとってそれは、とても豊かな時間の記憶なんですよ。

絵が大好きで、イラストレーターに。そして九州の地で、デザイナーの道へ

自然に触れて感覚を研ぎ澄ませた水戸岡少年は、得意だった絵を描く仕事に就きます。そして、九州で新たに挑戦した仕事をきっかけに、デザイナーの道を歩み始めます。

ホテルのアートディレクションがきっかけで、デザイナーの道へ。今思えば、“無邪気な楽観”が、仕事の幅を広げてきました。

水戸岡 鋭治さん子どもの頃から、絵を描くのが大好きで、よく家の前の道路にバスや戦艦の絵などをろう石(ろうのように半透明でやわらかい石)で描いていました。勉強は苦手だったけれど、絵は得意でしたね。学生の頃には本格的に絵を仕事にしようと決心していました。

学校卒業後はイラストレーターの仕事に就き、主に百科事典のイラストや建築物の完成図を描いていました。ですがそのうち、「絵だけではつまらない、できれば本物を作りたい」という思いが強くなっていったんです。イラストレーターとデザイナーの仕事は大きく違います。イラストレーターは、いわば個人芸。それに対し、ものづくりに関わるデザインは、組織で進めます。デザイン画を描いて、提案し、発注主や作り手とひとつずつ決めていくのはなかなか大変な仕事です。

そんなデザイナーへの転機は、30代の終わり頃。九州の仕事で知り合ったプロデューサーにやりたいことを尋ねられ、「デザインをやりたい」と即答したら、 “ホテル海の中道(現 ザ・ルイガンズ)”のアートディレクションを任せてくれて。普通なら、デザイン未経験者に「ホテルを丸ごとデザインしてよ」なんて頼まないし、言われた方も真に受けない。だけど、僕は「なんとかなる、やってみよう!」と引き受けて、ホテルの看板から客室の壁紙、ベッド、照明、そしてポスターに至るまでを一挙にデザインしました。そのご縁がきっかけで、鉄道や公共空間をデザインする仕事へと広がり、今に至っています。

妻が僕によく言いますよ。「あなたの得意な無邪気な楽観で、ここまで来られたのね」って。これが水戸岡らしさなのかもしれないですね(笑)。

「お客さまに喜んでもらいたい」。 みんなで心をひとつにして作った787系特急つばめ

これまで多くの公共空間をデザインされてきた水戸岡さんにとって、今までで最も印象深い仕事は、1990年代に九州を走った列車でした。

「お客さまに喜んでもらいたい」。デザイナーも作り手も心をひとつにして作る公共デザインが、人に感動を与えます。

水戸岡 鋭治さん今までで一番印象に残っている仕事は、JR鹿児島本線を走る「787系特急つばめ」のデザインです。今から20年以上前に手がけた車両なのですが、経験が浅くてとても苦労した分、個人的にとても思い入れがあります。

つばめは元々、日本の鉄道史に残る花形特急でした。その列車を復活させるプロジェクトで、関係者はみな、大変気合いが入っていました。ですが当時の僕は、車両デザインのど素人。日立さんの車両設計担当者をはじめ、メーカーや職人が集まる会議が憂うつでね…。専門用語が飛び交い、ちっともわからなかった。だけど素人ながらに鉄道のデザインはどうあるべきかを一生懸命考え、自分の言葉で皆さんに伝えました。お客さまが旅を最高に楽しめて、笑顔になるような車両を作りたい、と。そして、つばめのデザインコンセプトである「ホテルのような列車」を提案しました。

JR鹿児島本線を走った787系特急ツバメのデザイン画
JR鹿児島本線を走った787系特急つばめのデザイン画

水戸岡 鋭治さん鉄道をはじめ公共空間のデザインは、ひとりでは実現できません。メーカーや職人さんなど、さまざまな作り手と協力して、はじめて形づくられていきます。特急つばめは、素人ながらに奮闘した僕たちの思いが専門家チームの皆さんにも伝わったんじゃないかな。最初は、かたくなに見えた職人さんたちも「よっしゃ、すごいのを作ってやろう」という心意気になって、みんなでものづくりに向き合えた。そうして出来た最高の車両、それが787系特急つばめです。

公共のもの、つまりみんなのためのデザインは、一企業のためではないし、経済性や効率化を優先して作るものでもない。利用する人に喜んでもらえるかどうか。最後までそれを徹底してデザインすることが、利用するお客さまが心地よくなれる公共空間を生み出すことにつながるんですね。

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