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企業情報CSRへの取り組み

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  2. CSR活動 創業からのあゆみ

2010年の日立製作所創業100周年を記念して、創業以来の日立のCSR活動に関してまとめたコラムです。

創業とともに始まった人財養成の取り組み

創業とともに始まった人財養成の取り組み

小学校卒業とともに社会に出る子どもの多かった時代、日立製作所の工場内に「徒弟養成所」が誕生したのは、創業の年の4月でした。技能者養成を目的に専門科目、一般科目の授業を行いましたが、卒業後、他社に転ずるものも多く見られました。それでも社長の小平浪平は「日本の工業に役立つならば大いに結構」と認めていました。その後「日立工業専修学校」と名を変えて多くの技術者を養成し、今日も技能五輪金メダリストなど、日立のモノづくりを担う人財を輩出しつづけています。

関東大震災後の復興を支援

関東大震災後の復興を支援

関東大震災により、日本の工業の中心地である京浜工業地帯は壊滅的な打撃を受けましたが、日立工場(茨城県日立市)が無傷だった日立製作所には、全国から注文が殺到しました。しかし日立は、それらの注文を断り、生産能力のすべてを東京の復興支援にあてる決断をします。採算を度外視した選択でしたが、その時に納品した製品の優秀性が広く人びとに認められ、その後の日立が飛躍するきっかけになりました。

画像提供:国立科学博物館

新入社員に対する訓示

私の真意を申上げますと云ふと、日本の機械工業を進展さして、さうして日本の隆々たる国運に副うて行きたい、是が私の希望であります。 詰まり社会の仕事と云ふものは、決して唯単なる金儲ばかりやって居るのではないと云うふことは能く皆さんの頭に入れて戴きたいのであります。此一つを申上げて置きましたら、日立精神と云ふものはどういう風に醸成されて居るかと云ふことは能くお分りになるだろうと思ふのであります。 「新入社員に対する訓示」 昭和十年 小平浪平

創業者小平浪平は当時の新入社員に対する訓示のなかで「金儲けより国(社会)の発展に貢献するように」と強調しています。この言葉は、「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という日立の企業理念にいまもなお世代を超えて受け継がれ、グローバルに共有されています。

1935年

日立工業用水施設の建設

日立工業用水施設の建設

日立製作所は創業当時、日立鉱山から給水を受けていましたが、一方で地域住民の増加もあり地域全体が深刻な水不足に直面していました。日立はこの問題を重視した当時の日立工場長馬場粂夫の提案で、工業用水の取水のみならず地域住民への給水を計画し、1940年に久慈川(日立市)に取水・導水施設を建設。また日立水道(株)(後に日立市水道課に移管)を設立し、工業用水の一部を生活用水として市民に供給しました。本施設は現在も工業用水用施設として稼働しています。

時代に先駆けて自然環境を保護

時代に先駆けて自然環境を保護

1942年に東京・国分寺に日立製作所中央研究所を建設する際、日立の創業者、小平浪平は、「よい立ち木は切らず、よけて建てよ」と指示しています。その結果、敷地内に残された武蔵野の自然は今日も研究者の心をなごませており、春と秋の一般公開を通じて、広く地域の人びとに親しまれています。この先見的な小平の志を受け継ぎ、以来、日立は、各地域で自然環境と調和した工場・研究所づくりに取り組んでいます。

(写真)中央研究所と初代所長 馬場粂夫

日立返仁会

日立返仁会

日立創業メンバーのひとりである馬場粂夫は、高度技術者の育成に努め、博士号取得者が30人に達したのを機に日立返仁会を発足させました。当初は「高度な発明は凡俗を脱した変人に期待できる、凡人、才子にあらず変人たれ」という馬場の思いから、会の名称も最初は「変人会」としていましたが、後に愛・慈悲の心と根本に返るという意味を込め、「返仁会」と名称を改めました。現在、OBを含めて2,000人を超える会員が各分野で活躍し、後進の育成にも努めています。