最新のテクノロジーが難病患者のコミュニケーションを支える
株式会社 日立製作所 コンシューマ事業グループ ソリューションビジネス事業部
新事業推進センタ センタ長付(アクセシビリティサポート担当)小澤邦昭
| 日立製作所は「国産技術の振興」をもって日本の近代化への貢献を志した小平浪平によって創業され、今日に至るまで優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献することを企業活動の根幹に据えてきた。日立が考える企業の社会的責任(CSR)のあり方も、それと別ではない。日々の事業活動を通じて得た技術やノウハウを、時代や社会の要請に応じて還元することをその基本としている。 難病にかかりコミュニケーションが困難になった患者さんを支援する意思伝達装置『伝の心』『心語り』の開発も、そのような社会的責任を果たす取り組みの1つである。10年を超えて地道に開発に取り組み、世界へと活躍の場を広げようとしているその歩みを通じて、日立のCSR活動の一端をお伝えする。 |
重度障がい者用意思伝達装置『伝の心』の開発

ソリューションビジネス事業部 新事業推進センタ センタ長付(アクセシビリティサポート担当)小澤邦昭
日立の情報技術を高齢者・障がい者に役立てる部門の設置
ひと頃「企業の社会貢献」「メセナ」が盛んに叫ばれていた。多くの場合、「文化支援」「社会支援」の名のもとに企業が資金を提供して、さまざまな文化・スポーツイベントを後援したり、冠大会が開催されたりしていた。しかし、失われた10年とも15年とも言われる長期の景気低迷の中で、多くの「活動」は姿を消していった。
1992年といえば、そのような「社会貢献」に華やかなスポットが当てられていた時代だった。その頃に日立の情報・通信グループの中で、人目をひくこともなくある開発が始まった。ALS(Amyotrophic Lateral Sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)の患者さんを支援する意思伝達装置の開発である。担当したのは、当時できたばかりの「情報機器アクセシビリティ推進室」に所属していた小澤邦昭。「情報機器アクセシビリティ推進室」は、当時普及してきたパソコンを高齢者や障がい者に使えるようにすることを中心テーマにしていた。「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」「開発を通じて得た知識や経験を社会に還元する」という日立の創業以来の精神が、そこには息づいていた。
難病「ALS」で親しい先輩社員を失った衝撃
ALSというのは、筋肉の萎縮、筋力低下によって運動系の障がいをもたらす進行性の疾患で、難病(特定疾患)に指定されている。ほとんどの場合、知能低下などは起こらず、意識ははっきりしているにもかかわらず、話す、手足を動かす、頭を動かす、まばたきをするといった動作ができなくなっていくため、意思を外部に伝える手段がしだいに失われていく。これは、患者さんにとっても、介護をしている人にとっても、たいへんな苦痛である。
小澤がこのALS患者さんの意思伝達支援装置の開発に取り組んだきっかけは、社員の一人がALSにかかったことであった。その社員は、小澤が日立の研究所で研究員をしていた時代に、同じ研究所に勤務していた先輩だった。若い小澤の失敗をフォローしてくれたことなど、忘れ得ない思い出もいくつかあった。1992年の晩秋、小澤は入院中の先輩社員を見舞った。まだALSについて知見のなかった小澤は、声を掛けても返事が返ってこないことに、「あんなに親しかったはずなのに」ととまどった。なんとか、その先輩のコミュニケーションをサポートしようとパソコンを使った意思伝達装置の開発に取りかかった。だが、装置ができあがる前に、その先輩は永眠した。「役に立てずに申しわけない」という思い、そして、文章を書くことが好きだった先輩社員が、意思伝達装置を使えるようになれば、日記や手紙を書き残すこともできたろうにという悔しさが残った。
その時の強い思いが、小澤を意思伝達装置の完成に向かわせた。先輩社員の供養には、「装置の開発を続けてALS患者さんに喜んで使っていただけるような製品をつくるしかない」と思ったと小澤は言う。
社会的な要請に導かれて開発を推進
だが、装置開発は平坦な道のりではなかった。もともと、情報機器アクセシビリティ推進室のメインの仕事ではなかったので、こつこつと地道に取り組むほかなかったのである。しかし、1994年に小澤のもとに北里大学東病院から、意思伝達装置の共同開発の話が持ちかけられた。その頃、同病院のALS患者さんは、頭にレーザー光の発光装置を取り付け、首をわずかに動かして、壁にはった五十音表の文字を1つひとつ指すことで「会話」を行っていた。だが、これでは短い文章を示すにも時間がかかる上に、文章が自動的に記録されるわけではないので、込み入った話はできない。パソコンを使えば、記録できるし、長い文章を書く場合の負担も大幅に軽減できるようになる。
こうして共同研究がスタートした。さらに財団法人テクノエイド協会の福祉用具研究開発事業に応募して助成金も得ることができた。この開発環境の変化が、装置開発を後押ししてくれた。「開発にも、出会いや縁というものがあります。この時の出会いがなければ、開発は頓挫していたかもしれません。私は、亡くなられた先輩社員が見えない力で導いてくれたような気がしました」と小澤は語る。
機関誌「Uvalere(ユーヴァレール) Vol.7より
取材・文=清田勝哉 写真=吉江好樹
記載の情報は取材時点のものです。
Page:現在のページは1ページ目です。/全体のページ数は4ページです。

