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数理的発想法11 「物語」から遠く離れて科学と詩のほうへ 文:仲俣暁生

自分語りをしない顔

 『ドミトリーともきんす』の絵柄には、大きな特徴がある。ひとつは、ナレーター役の「とも子」や、その娘である「きん子」のキャラクターがじつに禁欲的に描かれていることだ。人間的味が薄く、正直にいうと、やや不気味な印象もある。無機質なタッチなのでコンピュータで描いているのかとさえ思った。

 「製図ペンで描いていますから、線の太さが均一なんですよ。四人の科学者のことを紹介するのが目的の本なので、それ以外に主人公らしい人が出てきても、とにかく影を薄く、印象を薄くしなくてはいけない。それだもので、人の姿かたちはしているけれども個性はなく、しゃべりは棒読み、体の動きも正面あるいは真横のふたつぐらいで動いてくれる人……と考えました。

 なぜ『とも子』の鼻は、鼻の穴だけなのかとよく聞かれるんですが、キャラクターの印象を薄くするには、〈左右対象の顔〉が意外に大事なんです。自分語りをしない顔というのは、それなんじゃないかと。『きん子』のほうは、べつに人間じゃなくて点でもいいんですけれど、姿勢を低くして床の上を這って行く。そうやって球体状を移動するという役割があるんです」

トモナガくんと「きん子」

 あえて印象を薄くした「とも子」や「きん子」に対し、科学者たちの青年はいずれも個性的に描かれている(ことにトモナガくんは「イケメン」といってもいい)。

 ところで、なぜこの四人だったのか。ほかにも候補はいたのだろうか。

 「科学者の随筆というと、最初に浮かぶのは寺田寅彦ですよね。寺田寅彦は〈文学〉の本棚にあったので、すぐにいくつかは読んでいました。でも、なんだか悲しいお話が多かった気がするんです。好きなんですけれど、読んだ後にスンと悲しくなってしまって。いまはもう少し湿気のない人たちを読みたいなって。

 人選を決めてからも、連載を始める前に一年間、彼らの本をひたすら読みました。全部読み終わっても、じゃあ描こう、というわけにはいかなくて。最後まで入れるかどうか迷ったのは湯川秀樹。湯川にとりかかる前には、連載中にあらためて3ヶ月休みました。もう一回、そこで読み直して、最終回に出てくる幾何学模様をどうやって描くかまでを考えたんです。

 この四人を湿気が多い順に並べると、中谷、朝永、牧野。湿気の多い人からはじめて、そこから助走をつけて行けば、なんとか最後は湯川にも行けるんじゃないか、と思った。『助走をつける』という言い方は変ですが、実際に朝永や中谷を読んでから、湯川の本をもう一度開いたら、初めはわからなかったことが読めるようになっていた。それは不思議なことでした」

「ユカワくん」が動きだすまで

 科学漫画でこれまでよくあったのは、語り手として「ナントカ博士」といったキャラクターが登場し、科学の知見をひとくさり説明する、というものだ。「博士」は白衣を着ており、白い髭があったりメガネをかけていたりする。そして語尾が「〜なのじゃ」で終わる話し方をする。でも、高野さんの『ドミトリーともきんす』は、それとはまったく違った描き方がされている。

「すでに出ている『なんとかなのじゃ』系のものは、下調べのときに、どういうふうに描かれているのかを知るため、けっこう読みました。最初の設定では、この連載もそれで行けばいいと思っていたのですが、どうもうまくいかない感じがあった」

 戯画化した科学者を語り手にしただけの「なんとかなのじゃ」系学習漫画とはことなり、『ドミトリーともきんす』では、絵そのもので科学を表現しようとしている。その際、植物学者の牧野富太郎や、雪の結晶を研究しつづけた中谷宇吉郎の場合には、具体的な花や樹木、雪の結晶といった視覚的な手がかりがある。だが、理論物理学者である湯川や朝永の場合、抽象的な絵によって彼らの考えを表現するのは、かなり難しかったはずだ。

「湯川秀樹の『目に見えないもの』をはじめに読んだときは、『これのどこが面白いのよ』と思った。読んでも読んでも、これをどうマンガにすればいいのかわからない。登場人物として『ユカワくん』という名をつけてはみたものの、キャラクターとして動き出しそうになかったんです。紙に描く絵はどうしても二次元なのに、湯川は〈二次元ではない次元〉のことを、本の中でいろいろ話している。この本の中で、それがうまく表現できたかというと、できてないと思います。

 理論物理学が扱う四次元の世界と、私たちの生きている三次元世界、さらに二次元である紙の上のマンガの絵との間をなんども行ったり来たりしているうちに、最終的に一冊終わったときには、『絵ってなんだっけ?』という気持ちになりました。□や◯や△って、どう描くんだっけと思い、紙の上に円を描くコンパスの正しい使い方とか、算数や数学の教科書のことを思い出した。あんなに嫌いだった数学の授業も、思い出してみたら、面白くなった。何千年も前に最初に絵を描こうと思った人の気持ちでさえも、湯川秀樹の本を読んだら、わかるような気がした。1年間かけて『ドミトリーともきんす』を描いていくうちに、最初の回をスタートしたときと最後のページを書くときとでは、すっかり自分の頭の中が違ってきました」