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みどるな看護のこれから 医療と治癒のあいだで文:西村 佳哲

人間を見て

日赤中央病院で、看護婦として働いていた頃の川島さん。 日赤中央病院で、看護婦として働いていた頃の川島さん。

──川島さんが看護の仕事を始めたのは、何年前ですか?

川島  63年前。本当によくつづけてきたと思う。私が始めた頃は、勉強をつづけられる環境もなくてね。働きながら自学自習でやる以外なかった。1965年に数名の看護婦で「東京看護学セミナー」という自主サークルをつくって、勤務時間が終わってから学び始めたんです。いまもつづいている。

 みんな国家資格は持っているけれど、当時の看護職の訓練は徒弟制的で、原理的にきちっと学べていないから学校を出てもわからないことだらけだった。そんな看護学を、医学や他の学問と同じようなレベルにしてゆきたいと思って。

 最初に勉強会に来ていただいたのは、京大の理論物理学者の武谷三男さんです。『安全性の考え方』(岩波新書)という本を書かれていた。その頃、医療事故がとても多かったの。赤ちゃんの取り違え、酸素ボンベ爆発、輸血の間違い。状況を調べようと思って、調査票をつくっておもだった病院に送ったけれど、「看護や医療が安全なのは当たり前で、事故なんてあり得ない。あなたたちは頭がおかしいんじゃないか」と戻される有り様でした。「じゃあ自分たちで勉強しよう」と。

 武谷さんはすごく興味を示してくれて、ずっとディスカッションを交わして。

──畑違いの分野の知を引き寄せて、自分たちが使える学びにしてゆくというのは、すごくレベルの高い勉強会ですね。

川島  看護学校の教員やどこかの病院の婦長さんとか、みんな勤務先は別々でね。それがいいのよ。夜勤を2週間つづけて手取りがやっと8000円くらいの頃に、会費2000円で始めたんです。15人くらい集まるといいなと思ったけれど、すぐ100人くらいになった。断らないといけないくらい殺到して。みんな勉強したがっていたし、学問に飢えていたんでしょうね。

 看護や医学はもちろん、地質学、経済学、いろんな先生を招きました。リベラルアーツというか教養科目はとても大切なものです。しかしいまの医学教育や看護教育には、そこが非常に欠けている。フィジカルアセスメントや解剖学や生理学は教えているけれど、そうじゃなくて最初の二年間は人間教育だと思います。裾野は本当に広げておく方がいい。富士山のように。

 人間であれ宇宙であれ、底を流れている客観的法則性は同じであって、そういったものをキチッと把握すればいいんですよね。

 2000年からは「日本看護実践事例集積センター」を立ち上げて、看護事例のデータベース化をつづけています。たとえば「肝炎で体中が痒くてしょうがないという人が入院してきて、こんなことで困り、こんな方法でケアをしたらこのようになった」といった事例を、プライバシーを保護しながら、後から検索出来るデーターにまとめ直してウェブで公開しています。

 学会誌等に載った事例報告を、その現場にまったくかかわっていなかった人が20名くらいで読み込むんです。一つの事例ごとに3つぐらいのグループに分かれて、フォーマットに記入しながら、何が問題だったのか技術論的に教訓を抽出する。それを三次チェックまで重ねるんですね。

(─個別特殊性の高い体験を、普遍性のある情報に再編している)

川島  このあいだ1011例になりました。

 これをつづけてゆくと既存の看護課題に、別カテゴリーが出来るはずなんですよ。「訴えが多い」とかね。本人はすごい痒みを訴えていてナースコールを頻繁に鳴らす。しかし検査をしても数値的には異常が見出せない。そんなときに、看護的な視点から、病名でなく人間を見てゆくカテゴリーが出来るはずなんです。それには1万例ぐらいの実践事例が要ると思う。

看護で治る

 私には自分の原点のような経験があるんです。63年前、看護学校を卒業して10日目に、背中に脊髄腫瘍を持った、もう死にかけているような女の子が入院してきたの。トシエちゃんといって、手術のために病院を転々としていて。すごい悪臭で、あの頃はまだ戦後でお風呂もちゃんと出来ていなかったんでしょうね。垢が鱗のように固まっていた。そしてこちらの顔を見ようともせずに、「痛いよ」「痛いよ」「だるいよ」「だるいよ」しか言わないのね。

 「私に出来ることは何かしら?」と。お風呂に入れない患者さんの身体を拭くベッドバスの実習を学校でよくやっていたので、それだったら出来るなと。でも脈を診ると、身体を拭くのもためらわれるほど悪かったので、お湯を少しぬるくして石鹸で足だけ洗ったんです。そうしたら真っ黒だったところから、ソックスを脱がしたようにツルッとした足が出てきて。その日はそこまで。結局1週間かけて、全身を少しづつ丁寧に拭いていったんです。

 そして1週間目の朝、それまでシワシワの汚い顔で、お婆さんのようなしかめっ面をしていた彼女が、垢の落ちたピンク色のほっぺを見せてにっこり笑ってね。「看護婦さん、お腹がすいた〜」って言ったんです。まだ食糧難だったからご飯なんて余っていないけど、術後で食べれない子どものが少し余っていたのでそれを二さじもらってお粥を炊いて。それを「美味しい」って食べてくれたのね。

 入院してきたときの彼女の身体は末期的でした。脈も「ダダダダダーッ」という具合で、もう死んでしまいそうな状態だった。だけど驚いたことに、その脈が戻ったんです。そしてニコニコ笑いながら、それから3ヶ月くらい元気に生きたんですよね。

 「あれはいったいなんだったんだろう?」って、ずっと不思議に思っていて。10年くらい経った頃に、「彼女の生命を脅かしていたのは腫瘍もさることながら、それ以上にあの全身を覆っていた垢で、それを取り除いたことで生命が活き活きと動き出したんだな」と思うに至りました。

 交感神経が緊張するとストレスになるわけだけど、副交感神経が優位になると、すべての臓器がゆっくり動くようになる。肺も心臓もみんなゆっくり打ちます。でも消化器だけは活発に働く。だからトシエちゃんは「お腹すいた」と言ったんです。唾液が出て胃液が分泌されたから。看護というのは副交感神経優位のケアなんです。

 あと副交感神経が優位になると、ナチュラルキラー細胞が活性化して免疫力が高まる。つまり自然治癒力が高まってゆくんですよ。

 看護は痛くないし、苦しくないし、安心して、気持ち良く治るんです。副作用や習慣性の心配も要らない。「注射をして、採血して、血圧を測る」のが看護師のようになってしまっているけれど、そうじゃない。

 私はトシエちゃんのことを通じて、「熱湯とタオルがあれば命だって救える」と思った。それくらい看護の力ってすごいと思うんですね。「看護師はもっと看護に集中しなさい」と私は言っているんです。看護師が看護を実践して、さらに各家庭の人たちもそうしてゆくと、日本の医療費はすごく減ると思う。

 私は極端に言うと、病気を抱えている人の6割は看護で治せると思います。お金にならないだけで。何年か前、「看護のみの5ベッドくらいの病棟をつくってほしい」と頼んだことがあるんですよ。看護だけだと病院は儲からない。けど最低限の入院費はいただけるので、一日に500ccくらいの点滴と、あとは看護だけで治してみたいって。アメリカには実際に、リハビリと看護だけを行うセンターがあったんです。すごく乗り気になってくれた先生もいたけれど、現行の医療法では駄目なの。