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みどるな看護のこれから 医療と治癒のあいだで 文:西村 佳哲

看護師は、医師と患者、あるいは病院と家族のあいだで働いている。
ときには医師の助手のように見える。
より頼りがいのある、別個の存在に見えることもある。
私たちは看護という仕事を、わかっているんだろうか?
日本看護界の人材を育ててきた、川島みどりさんにお話をうかがった。

 看護師は多くの人にとって、小さな頃から馴染み深い存在だ。接してきた時間の総量はたぶんお医者さんより長い。しかし私たちはその仕事を、ちゃんとわかっているんだろうか?

 ときには医師のアシスタントのように見える。が、また別の秩序のもとで動いている様子も感じられるし、病状や部位に注目しやすい医師に比べると、自分のことをより全体的に見てくれている感じもある。そしてなんだかすごく忙しそうだ。

 看護師という仕事は、本来的にどんなもので、いま現在どのような状況に置かれているんだろう。

ケアは人の営み

みどるな看護のこれから 医療と治癒のあいだで

川島 なんで忙しいかと言ったら、理由の一つは医療の機械化が進んでいること。それはもうすごいの。扱い方を憶えなければならない機器がどんどん増えてゆくし、さらに診療報酬制度*から「入院日数はできるだけ短く」という医療経営の課題がある。そのために看護師の忙しさがつのっているんです。

*注:要した治療費の積み上げでなく、病種によって入院1日あたりの診療報酬を決める定額支払い制度。海外に比べ在院日数が長く病床数も多い日本の急性期病院の特徴は、入院医療の不効率性のあらわれと見なされ、日数の抑制指標を定めることで医療費の削減を試みようとしている。2003年から導入が始まり、2014年度の改訂では、平均在院日数を9日以内にする方針が示されたという。

川島 患者さんが入院して来ると、看護師は出来るかぎり短期間で退院出来るように、効率よく動ける計画を立てます。いつまでに退院してもらい、そのためにいつ何をするか。それにはまず本人のいろんな情報を入力する。だから入院1日目が看護師はいちばん大変なのだけど、回転率を上げるべく、空いたベッドにもその日のうちに新しい患者さんが入って来る。1日目の人が毎日何人もいるという悪循環があって。

 でもなにより、「看護」という仕事の見えにくさがあると思います。

──見えにくさ?

川島 医療(キュア)は、だいたい目に見えるんです。注射をしたり手術をしたりね。医師はそういうことをしている。でも看護(ケア)の仕事は、見えにくいし形にも残らない。

 たとえば75歳のお年寄りで、在宅で寝たきりで、認知レベルが低下していて少し言葉も喋れないし、食事もあまり口から食べられていない。しかも失禁していたとか。そんなお年寄りがたまたまベッドから落ちて骨折して、救急車で運び込まれたとします。すぐにレントゲンを撮り、大腿骨骨折なので即手術となる。

 看護チームはそこで看護計画を立てるわけだけど、いま述べたような要素を揃えている人は、放っておくと必ず肺炎になるんです。口の中に雑菌が多くて、唾液を呑み込めないから気道に入りやすく、結果的に上気道感染を起こす。で、そうなってしまったら在院日数は延々と伸びるわけです。むろん本人も苦しいし、死ぬかもしれない。だから優れた看護チームは骨折治療のケアと併行して、すぐその日から別のケアの計画を立てる。

 3時間おきに身体の向きを変えて痰を出しやすくする。出ないときはスクイージングする(呼吸に合わせて気道を圧迫しながら分泌物の移動を促す手技)。それから一日に四回以上マウスケアをする、というような計画を立てるんです。すごく手がかかることだけれど、それをしておけば肺炎を起こさない。

 でも結果として何も起こらないわけだから、診療報酬はゼロ。

──ですね。

川島 もし頚部骨折だけ処置していたら、必ず手術後に「微熱が出てきました」「呼吸がちょっと荒い」「痰が出ているかも」となる。そこからレントゲン、CT、MRTを撮って、抗生剤、点滴、吸引となってくると今度は全部診療報酬が付くわけです。そういう意味では、看護師がさぼればさぼるほど病院は儲かるわけね。肺炎にしても、症状が出たら薬を与える方が話が早い。本人にとってどうかはともかく。

 結果として日本のマクロな医療費は増える。それを減らすには、看護師がちゃんと看護をすることに尽きると思います。でも床ずれのケアのような予防と同じで、仕事が性質的に見えにくいんです。

──看護と介護の違いはなんだろう? と思いながら聞いています。

川島 根っこは同じです。どちらも支えるのは、ごくありふれた営みなんです。食べたり、眠ったり、トイレに行ったり。それらはどれも他人が替われない。だから本来的に「セルフケア」が基本であって、その人が自分で気持ちよくやるのがいちばんいい。どんなに上手に食べさせてもらえたとしても、自分で食べるのがいちばん美味しいですよ。「はい、おつゆ」とか入れられるよりね。

 人には「最後まで自分でしたい」という想いと「大変なときはケアされたい」という、二つの矛盾した想いがある。そのバランスを上手に取りながらアセスメントして、仕向けて、直接的なケアもし、本人に具(そな)わっている自然治癒力が働くように、清潔な空気や光、規則正しい食べ物、温かさといった環境を整えてゆくのが、職業的な「看護」なんです。

──ということは、最も看護に相応しい場所は病院より…。

川島 そうそう、家庭です。昔はだいたいどんなことも家の中で、知恵と工夫で処理していたわけだし、家族という概念がまだなかった時代から、人々は互いに助け合いながら生きてきた。ケアは人間の基本的な営みで、その意味では「看護」も「介護」も同じなんです。

 しかし高齢化に対応して、介護という職業を増やしてしまった。すると同じ厚生労働省でも担当する部局が違うし、教育カリキュラムも試験も資格も、給料も違う、別の仕事のようになってしまっているんですね。

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