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数理的発想法10 誰が発明したのかわからないUIが社会を便利にする 文:仲俣暁生

いつの時代も、創造性の核には個人の「発想」があった。
「発想」をかたちにするには技術のたすけが必要だが、
情報通信技術の発展は、そのプロセスを大きく変えた。
「発想」にはじめから、技術がビルトインされるようになったのだ。
そうした発想のあり方を、かりに「数理的発想法」と名づけてみた。

今回ご登場いただく増井俊之さんは、ユーザインタフェースUI の専門家。
日本の携帯電話に実装された「予測入力システム」の生みの親であり、
これが評価され、アップルのiPhone 用の日本語入力システムも開発した。
だが、現在のスマートフォンのUI には不満も多いという。
そんな彼が現在取り組んでいるのは「実世界インタフェース」の開発だ。
今回のキーワードは〈ユニバーサル〉と〈ユビキタス〉である—。

 スマートフォンを持ち歩き、移動の隙間時間などに小さな画面をのぞきこむことが、ごくふつうの光景になりつつある。インターネットにつながった端末の画面に文字や画像が表示され、いつでもどこでも便利な情報が得られる。テクノロジーが人々の暮らしを一気に塗り替えた、近年におけるいちばんわかりやすい例である。

 しかし劇的な普及のスピードの反面、現在のスマートフォンがどのくらい「スマート(賢い)」かといえば、いくつかの留保をつけざるをえない。「携帯電話」としての機能以外にさまざま用途に使えるという意味では「賢い」のかもしれないが、人間にとってもっとも使いやすいかたちにチューニングされているわけではない。ましてや、スマホの利用者自身が「スマート」になったわけでもない。

 そうしたなか、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)でユーザインタフェース(UI)の研究開発にあたる増井俊之さんが、あるエンジニア系のイベントで「スマートフォンのユーザーは、スティーブ・ジョブズに騙されている」と発言して話題になった。

 増井さん自身、ジョブズのもとでアップル社の初期型iPhoneに搭載する日本語入力システムの開発にあたった経験をもつ。その彼が現在のスマホを否定的にとらえた言葉は、たんなるアップル批判やジョブズ批判ではなく、技術者としてのより深い動機からきているに違いないと思えた。スマートフォン絶賛という昨今の風潮に警鐘を鳴らすために、あえて強い言い方をしたのだろう。

 この発言の真意を尋ねるため、SFCの彼の研究室を訪問することにした。

実世界のインタフェース

 SFCの増井研究室の入り口のドアは、彼とゼミ生が取り組んでいる「実世界インタフェース」の成果の一つである、スマートフォンをつかった電子錠で施錠されている。「電子錠」といっても、鍵自体は物理的に施錠されている。扉に向けてNFC(近距離無線通信)機能のあるスマートフォンをかざすと画面に錠のかたちが表示され、それを回すことで解錠されるのだ。

スマホをかざして扉を解錠する。

電子錠の仕掛けは意外とシンプル。

 開いた扉の背面には、ミステリ小説の密室トリックで使われるような、センサーとモーターを組み合わせた施錠・解錠装置があり、そこから伸びたケーブルの先には小型のコンピュータモジュールがつながっている。研究室を訪問する人に「実世界インタフェース」をデモンストレーションする、格好の小道具といえそうだ。

 まずはじめに、「ジョブズに騙されている」という発言の真意をたずねた。

 「じつはiPhoneにフラットパネルが選ばれたのは、キーボードの国別対応をしなくていいから。安あがりというだけであって、実際はそんなに便利になっていないんですよ。いわば作り手の都合だけでやっているのに、それをカッコいいと思って使っている人がいるなら、それは騙されていると言わざるをえません」

 とはいえ、増井さん自身、スマホのもたらした恩恵に対して完全に否定的なわけではない。

 「こんなに小さな機械なのに通信ができてウェブが見られて、通話もできるという点では明らかに便利になっていますから、そのことで騙されているとは思わない。ただ、どんな場合でも指の腹を使って操作せざるをえないのに、そのことまでが便利になったと思わされていることが問題なんです。僕らの「実世界インタフェース」は、とにかく、"コンピュータはこういうものだ"という固定観念をいったん払拭して、便利なことをいろいろ提供したいんです」

デルタの明るさ、デルタの温度

 増井研究室のあちらこちらには、明るさセンサーや温度センサーなど、さまざまなセンサーが仕掛けられている。それらのデータはウェブ上で共有され、研究室に誰かがきたことを感知すると、モニター・プログラムが自動的にメンバーに通知してくれるという。

 「温度センサーなんて、何の役にも立たないと思うでしょう? でもセンサーの値がおかしければ、コンピュータが暴走しかけている可能性もあるし、空調がおかしくなっているかもしれない。そういうインフラをちゃんとつくっておくと、意外と面白い。たとえば、いまこの場でグーグルの検索をしたいとしたらどうするのか。何かを叩くとグーグルを検索できるようなモニターを作りたければ、それを感知するセンサーを増やせばいい。この研究室では、そういう実験をしているんです」

 コンピュータをもちいた制御を電子空間の中にとどめず、実空間に拡張する「ユビキタス・コンピューティング」は、ながらく提唱されてきたわりに社会に定着せずにいる。他方、最近は「モノのインターネット(IoT:Internet of Things)」という言い方で、インターネットにモノを接続する機運が高まっている。こうした流れについても、増井さんは次のようにクギをさす。

 「いろんなモノをインターネットにつないでいこう、というのは当たり前の考え方ですが、そのとき現在のパソコンなどと同じような形でIP(インターネット・プロトコル)アドレスを使うのがいちばんいいかどうかは、別の問題です。

 IPアドレスは機械ごとに割り振られるものなので、通常のIP通信の相手はかならず機械ということになる。でも、そうなると漠然としたものとは通信しにくくなるんですよ。たとえば「SFCの湿度を知りたい」というとき、湿度センサなどが接続されている機械の名前やIPアドレスを知る必要があるし、各種のセンサを区別しなければなりません。センサの値を知りたいだけなのにハードウェアやネットワークの構成を考えなきゃならないのは面倒でしょう? センサが沢山ある場合でも、機器構成などを気にせずにうまく通信できるようなプログラムの書き方が必要なんです。

 この研究室は「デルタ」という建物の中にあるので、僕らのプログラム上では「デルタの明るさ」という言い方をしているんです。インターネットのIPアドレスとは関係のない名前空間で使えるようにしてあるから、プログラムをする人はその数値を「デルタの温度」として引けるんです」

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