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みどるな事業継続の試み 価値の遺し方、会社の渡し方 文:西村 佳哲

社長10年定年制

東京・恵比寿のプラットイーズのオフィスにも、徳島・神山町のえんがわオフィスにも、社長室はない。幹部役員も、他のスタッフと同じ席に並んで座り、働いている。 東京・恵比寿のプラットイーズのオフィスにも、徳島・神山町のえんがわオフィスにも、社長室はない。幹部役員も、他のスタッフと同じ席に並んで座り、働いている。

隅田 でもアーカイブはお金になるのに時間がかかるんです。古いものほど価値が高まってゆくし、1本だけ持っていてもダメで、たとえば雪の映像なら「雪」で検索して他にもいろいろある状態になって初めて商売になる。ワインで言えば、30年ものや40年ものがいろいろ揃っている状態というか。

 そこだけで始めようとしても成り立たないので、ボジョレー・ヌーボーのような仕事も走らせながら、どうにかこうにか牽引するわけです。

──1年もののボジョレー・ヌーボーだけだと?

隅田 「なんで俺たちがやる必要があるんだ?」「なんのために働いているんだ?」となる。意義が感じられなくなる。

 金になるというだけのことなら誰だってやる。この映像アーカイブの仕込みは、技術力のあるところがちゃんと意志をもって取り組まなければ出来ないから自分たちがやるんだ、という明確な意図を持っていることが大事なんです。僕らがこの世を去っても、将来「よくこんなものを遺しておいてくれたな」と誰かがどこかで驚いてくれたらいいなとは思う。

 きれい事としてはそんな感じで、あとは遊び心。基本的には面白いからやっている。

──隅田さんが「会社」をどう捉えているのか、に関心があります。

隅田 代表取締役を退いたきっかけは、自分の「社長10年定年制」という言葉なんです。会社を始めた頃になんとなく口にしていて。本人は忘れていたのだけど、憶えていたスタッフがいて「言ってましたねー」と。「確かに言ったなー!」と。

──「社長10年定年制」とは?

隅田 余所の会社を見て「見苦しいな」と思っていたんです。創業社長は居座りやすい。どんなにその仕事が合っていたとしても、同じ人が10年以上トップをつづけたら風通しは悪くなるし、水は淀むよなと。とくに小さな会社はどう気をつけてもその人の色が出てしまうし、なんやかんやいってワンマンになってしまう。

 でも中小企業の創業者が社長を辞めるのはすごく大変で。いまうちで働いているスタッフはすごく優秀だけど、会社を興した本人ほど思い入れは強くない。あたり前ですよね。でもやっぱりバトンタッチが大変なんです。そのためのフォーメーションを最初から組んで、対外的にも対内的にも準備期間をもって進めるべきなんでしょう。

 創業時のメンバーに社長と副社長に就いてもらって、僕は株を持っているけど日雇い会長。四苦八苦のフェードアウト中です。辞めて3年になりますが、まだ完全に足を洗えていない。

──こっちでつくった新しい会社でも、同じく「社長10年定年制」をひいているんですか?

隅田 ひいてます(笑)。会社は、営んでゆけるようになったら早めに継いでゆくのが健全だと思う。任期4年くらいが本当はちょうどいいんじゃないかな。

──「事業や会社は、個人に帰属するものではない」と考えている。

隅田 そうです。会社は所詮会社なので、百年の計で見たらつづいている方が少ない。で、会社がなくなってしまっても、事業がつづいてゆけばいい。意志や事柄がつづいてゆけばいいと思っていて、うちが潰れようがどうなろうが映像資産は遺る構造をつくっている。

 具体的には、自分たちだけでやらずに、第三者を含む形をつくってゆくんです。とくに営利団体ではないところを。形づくってきた資産の権利を全部継承出来るように。

資本より大きい"資産"

みどるな事業継続の試み

隅田 でもこれは先のBCP(事業継続計画)からしたら本末転倒なわけですよ。企業の存続に依存しない事業の形を模索することになるから。商人としてはそこで葛藤する。株式会社としてやってはいけないことをしているんじゃないか?って。

 一歩間違えたら「ご苦労様でした」と全部持っていかれて、お終いになる可能性もあるわけです。本来パブリックなことであって、公的機関がやるべき仕事なのかもしれない。100%個人資産でやっているわけでもなく、人から預かっているお金もあれば、銀行から借りているお金もあるのだから。

 でもしょうがない。日本には、民業としてそういうことに取り組む構造やフレームがまだないんですよ。たとえばNPO法人だと、資産勘定を持てないので長期の仕込みを要する事業は出来ないし、財団になると組織としてのビビッドさを欠いてしまう。株式会社の方が、まだやりやすいんです。

──隅田さんは「過去の文化資源に、いま生きている人たちがアクセス出来るべきだ」と考えている。

隅田 もちろん。ドイツなんてすごいじゃない。戦争であれだけ叩きのめされて街もボロボロになったのに、オペラハウスからなにから一つひとつ、昔の図面を持って来て一所懸命復元している。

──建物や街並みは、大きなレコードですよね。

隅田 空間は本来いちばん継承されやすいものだと思う。この「えんがわオフィス」は大正末期に建てられた家で、これまで人から人に3回くらい売買されています。最初に住んでいたのは酒屋さん、次は料理屋さん、最後に住んでいたのは学校の校長先生をしていた人で、その人たちがこの天井を見、柱を見、暮らしてきているわけです。

 この建物の隅々にある雰囲気というのが、過去に生きていた人々と、いま生きている我々が、時間を越えて共有出来る唯一のものだと思うんですよ。

 街並みにはそれが遺りやすい。僕は革新派のベンチャー経営者だけど、空間や景観については、以前からあるものを遺す方がイノベーティブだと思っているんです。その方がいろんな意味で後世のためになると思う。古民家園にもしないで、手を加えていいし別の用途でも構わないから、普通に使ってゆくのが大事だと思うんですね。日本は変化しすぎだと思う。このあいだ東北の三陸沿岸部を訪ねる機会があって、震災後のまちの復興計画を見せてもらったら、真ん中にボンッとイオンがありTSUTAYA があって、「えっ?」っていう。リセットというか、過去の記憶を全部遮断するような計画ばかりだった。

 昔の人が同じものを見てどう思ったのかな?と想像力を働かせる手がかりを全部なくしてしまうのは、もっとも愚かなことですよね。資産というのは、営々と築かれるものなのに。街並みは資産なんですよ。資本以上に大事な"資産"であって、ストックですよね。日本人はこの認識がすごく薄い。

──その同じ感覚を、隅田さんは映像にも、ご自身の会社にも持っている。

隅田 そうですそうです。僕らはいわば箱根駅伝の第1区や第2区を走っているわけで、バトンはまた次に渡り、今日整えた映像を500年後に誰かが見ているわけです。

 このオフィスもいつか売りに出されて、屋根にまたぺんぺん草が生えることになるかもしれないけれど、さらに誰かが改装するかもしれない。いずれにしても、もし僕らがこの家に手を加えなかったら、確実にこの世界からただ無くなっていたわけです。人が住まなくなって、もう崩れかけていたので。でもたったの築90年で、まだ200年も300年も使える。その中継ぎを自分たちの事業と併せてやっているわけです。