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数理的発想法9 バーコードリーダーが「本」と「図書館」をオープンにする 文:仲俣暁生

バーコードリーダーの衝撃

 地藏さんが河村さんと出会ったのは、2010年の12月。さきに紹介したPAX Coworking というコワーキングスペースでのことだった。会ってすぐ、地藏さんは河村さんのことを「面白い人、新しいことを試みている人」だと感じたという。

地藏「自分にもマインド的にそういうところがあるので、すぐに意気投合しました。リブライズを開発する前に二人で仕事をしたことはなかったけれど、プログラマーとしての守備範囲が違うので、普通の仕事じゃないところで何かを一緒にやることがあるかもしれない、という感覚は最初に会ったときからありました」

 この頃、東京ではPAX Coworkingが発火となり、コワーキングのムーブメントが起きていた。渋谷にできた新しいコワーキング・スペースco-ba には、二人は大いに刺激を受けた。

地藏「co-ba には本がたくさん置いてあったんですよ。あの本が貸し出しできたらいいんじゃないかという話を、河村さんとは夢物語みたいにしていました」

 リブライズができる前、「下北沢オープンソースCafe」での本の貸し出しはFacebook のアカウントを使って河村さんが手動で行っていた。Amazon から書影を引っ張ってくる手法もすでに採用されていた。このプロセスを自動化し、洗練させたものがリブライズである。

 リブライズの誕生にあたっては、Facebook の存在も大きかった。地藏さんと河村さんのお住まいは離れている。定期的にこのカフェでミーティングをしているとはいえ、その間のやりとりはずっとオンラインということになる。

河村「Facebook というオンライン・メディアでできあがった文化が、リアルのほうに降りてきたのがコワーキング・スペースなんですよ。私自身も、コワーキングに関わるようになってからFacebook を本気で使い出した。Facebook とコワーキングに出会った以後、人との知り合い方がすごく変わりました」

 地藏さんがリブライズの開発に参加した動機もたずねてみた。

地藏「バーコードリーダーの存在が大きかったですね。カフェにこれが物理的に置いてあって、ISBN(本を管理する番号)が読み取れることを知った。これは面白いと思って、リブライズのプロトタイプみたいなものを、半日ぐらいでつくってしまったんです。最初は本だけではなくて、CDやDVD、ナンプラーみたいなものまで、Amazonで売られているものはなんでも登録できたけれど、リリースするぎりぎりのところで本だけに絞りました」

 デザイナーとしての河村さんにとっても、バーコードリーダーというデバイスは新鮮だった。

河村「バーコードリーダーって、現実世界からモノを吸い込む掃除機みたいなデバイスなんですよ。デザインをする身にとっては、画面の中だけでなく、その外側にあるリアルなモノにタッチできることが刺激的だった。UI/UXデザインをしている人たちは画面の中のことばかり考えているけれど、バーコードリーダーがあると、デザインに対する考え方がぜんぶ変わる。なんでこんなにありふれたデバイスが研究されていないのか、って思いました」

地藏「スマートフォンからアクセスしても、リブライズのサイトを見ることはできなくて、バーコードしか出てこないんです。でも、実際にバーコードを画面に出してみたときに、これで勝ったと思った。まさに発想の逆転ですね」

河村「そう。ぎりぎりのところで、iPhone 側の画面にスキャン用のバーコードを出すことに決めました。リブライズの最終目的は、画面をいっさい見なくていいシステムにすることなんです」

リブライズが利用できる場所、ブックスポットは現在計610箇所にのぼる。
リブライズが利用できる場所、ブックスポットは現在計610箇所にのぼる。

 2012年9月の正式リリース直後から、リブライズのサイトにはアクセスが殺到した。

河村「Facebook 上に秘密結社的なグループがあって、その年の4月くらいから、いろんなコワーキング・スペースでテスト的に使ってもらっていました。その時点で蔵書は2000冊ぐらいだったんですが、ここで正式リリースするのでよろしく、という投稿をした直後のアクセスがすごかった。その投稿をみんながFacebook でシェアしてくれたんです。

 公式リリースする前に、本の置いてあるところをあちこち見てまわったんですが、その段階ではコワーキング・スペースしか見ていなかった。リリース後もコワーキングのことしか念頭になかったし、ほかのところまで広がるとしても、相当先の話だと思っていた。ところが、公開してすぐに国立国会図書館のニュースサイトである『カレント・アウェアネス・ポータル』が記事にしてくれたんです」

 オープンソースとコワーキング・スペースのムーブメントから始まったリブライズが、図書館関係者の目に届いた瞬間だった。

河村「『すべての本棚を図書館に』というフレーズを地藏さんが思いついたことが、決定的だったと思います。リブライズという名称とほぼ同時に、この副題ができた。じつは図書館という言葉を使うと関係者から反感を買うんじゃないかと思って、ほかにもドメイン名を用意していました。正直にいうと、このキャッチコピーが決まるまで、僕ら自身も『すべての本棚を図書館に』する気はなかったんです」

地藏「僕らはホンモノの図書館じゃないから遠慮していた。でも、このフレーズが出たときに、『あ、これだったんだ!』という感じがしたんです」

リブライズは"面白さドリブン"

 リブライズ以前のお二人の経歴もうかがった。そもそも、二人は一回り以上も年が違う。1965年生まれの地藏さんは、名古屋出身。大学時代に、友人と教育関係のパソコン用パッケージソフトを開発する会社を起業した経験をもつ。

地藏「プログラミングをするようになったのは、大学時代にパソコンを買ってから。はじめは作ることそのものが楽しくて、遊びのようなものだったけど、気がついたらアセンブラで何千行ものプログラムを作っていた。名古屋には『遙かなるオーガスタ』や『ハイドライド』を出していたT&Eソフトという会社があって、アルバイトに応募したんですが、断られた。あのとき断られていなかったら、そのままアセンブラを書く人になっていたかもしれない。その後、友人から大学の生協で『会社をつくるから』と声をかけられて、『うん、いいよ』という感じで参加しました」

 しかし、友人と立ち上げたこの会社はうまく行かず数年で解散。地藏さんはプログラマーとして独立し、上京後はウェブメディアの先駆けである「ホットワイアード日本版」のバックエンド・システムを構築したり、「J-STAGE(科学技術情報発信・流通総合システム)」公式サイトの立ち上げなどさまざまな仕事を手がけつつ、一匹狼の職人的プログラマーとしてやってきた。

 「ホットワイアード日本版」の創刊といえば、ドットコム・バブル以前の1997年。まさに日本のウェブ草創期である。

 一方、1979年生まれの河村さんは、その頃はまだ千葉大文学部で認知情報科学を専攻する学生だった。「文学部」とはいうものの、実際は学際学部だったという。

河村「朝に大学に行くと、東大の研究室からもらってきた犬の首の解剖からはじまって、その次が鳥の世話。あとはずっとプログラムを書いていました。夜の11時ぐらいまで大学にいて、閉まっている門を飛び越えて家に帰る、という生活でした」

 大学時代に、河村さんはすでにCogniTom という屋号で仕事をはじめていた。

河村「認知科学は英語でいうとcognitive science なので、そこからとりました。最初にやった仕事は論文の挿絵描き。その後、在学中にプログラムを書くスキルを身に付けて、研究室に自分の作ったプログラムを売りつける仕事をはじめたんです」

 デザインとプログラミングの両刀使いという現在の仕事のスタイルは、このときからできていた。2010年に二人が出会ったとき、地藏さんは45歳、河村さんは31歳。だが年齢のギャップはまったく問題ではなかった。

地藏「自分は基本的にピン芸人なんですが、プログラマーの世界は何ができるかがすべてだから、年齢はあまり関係がない。すごくストレートな世界だし、仕事の対象に関しては誰とでも同じレベルで話ができる。それにリブライズは、テック・ドリブン(技術駆動)のサービスではないんです。プログラミングという観点だけでみると、たいして面白いものではない。でもバーコードリーダーというデバイスも含めて全体のデザインを考えるのは、とても面白い。その面白さが、僕らにとって開発のモチベーションになっているんです」

河村「プログラムの業界は、一方にテニスの世界ランキングみたいにヒエラルキーが歴然とした領域がある。でも、全員がそこをめざすかというと、もうちょっと多様な場所なんですよ。コワーキングという場所にはヒエラルキーは一切なくて、評価の軸は面白さだけなんです」

地藏「自分にとっての面白さも大事だけれど、他人から面白いと言われたい。リブライズはテック・ドリブンじゃなくて、"面白さドリブン"なんです」

河村「たとえ山ほどお金を積まれたとしても、それでは二人ともモチベーションが上がらない。もはや、面白さ以外にモチベーションを上げる要素がみつからないんです」