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みどるな市議会議員 これからの“コミュニティ”のあり方 文:西村 佳哲

普通の感覚こそ重要

岡山の市政について、街角のカフェなどを会場にみなで語り合う「マチナカギカイ」の様子。若い世代を中心に、中高年者も、行政職員もともに語り合い、交わされた話を森山さんが議会へつなぐ。 岡山の市政について、街角のカフェなどを会場にみなで語り合う「マチナカギカイ」の様子。若い世代を中心に、中高年者も、行政職員もともに語り合い、交わされた話を森山さんが議会へつなぐ。
岡山の市政について、街角のカフェなどを会場にみなで語り合う「マチナカギカイ」 の様子。若い世代を中心に、中高年者も、行政職員もともに語り合い、交わされた 話を森山さんが議会へつなぐ。

──つながっていない世界をつなぐとき、どんな工夫を?

森山 やっぱり市の職員さんは、最初は嫌がるんです。マチナカギカイには、政策局長とか40〜50歳くらいの行政経験の長い人たちを呼んで一緒に話し合うのだけど、彼らは地域課題について、住民とポジティブに話すのに慣れていないんですよ。

──反対運動を多く体験している。

森山 そういうことですよね。住民説明会を開けば、たいがい文句を言われて終わりというか。なので「そういうところに行きたくない」と言う。「大丈夫! 今回集まるのは、むしろこういう集いは初めての人たちです」「対立軸はつくらずに、小さな円にわかれて話してゆくスタイルだから」と説得して、渋々出て来てくれて。

 やってみると楽しいんです。職員さんも「商店街について若い人たちがこんなに意見を持っているんですね」と喜んでくれて。機会が限られているんですよね。商店街の活性化について、たとえば商店街連合会や町内会以外の人たちとつながるチャンネルがない。

─実際に来ているお客さんや、日々通行している人たち。

森山 その人たちとリアルに言葉を交わせる機会がない。参加した人が後日「商店街のことでもう少し聞きたいことがある」と言ってきたので「こないだ会ったんだから直接行ってみたら?」と伝え、僕は一報だけ入れておいて、本人が担当職員に会いに行ったり。「自転車政策について話を聞きたいんだけど、あのときの彼を紹介してくれないかな?」と局長の側からも相談をもらったり。そんな進展はあります。もっとつづけていかないとな、と思っている。

 今度、運動会もやろうかなと思っているんです。地域の人たちプラス、町内に住んでいるわけではないけどこの界隈につながりのある人たちで。町内会は担い手がいなくて困っている。若い連中もそこに興味がないわけじゃない。けど互いにかかわるきっかけがない。それを文化とか芸術とかスポーツとかそんな時間を通じてつないでいったら、おのずと変わってゆくんじゃないかな。

 多分すごくシンプルなことなんですよね。それを普通にやれる人がいない。少なくともこの界隈には、これまではそんな目線の議員がいなかった。地方議員は僕たちにとってすごく高尚で遠い存在だったけれど、普通の仕事だと思うし、普通の感覚こそすごく重要で。

この閉塞を

わずか2ヶ月間の降って湧いた選挙活動にも関わらず、2011 年の地方選において、2280 票を集めて当選(11 位)。
街頭で通行者一人ひとりの顔をよく見ながら話しかけているうちに、視力が回復し、眼鏡が要らなくなってしまったとか。
写真は以下のURL より転載。
わずか2ヶ月間の降って湧いた選挙活動にも関わらず、2011 年の地方選において、2280 票を集めて当選(11 位)。 街頭で通行者一人ひとりの顔をよく見ながら話しかけているうちに、視力が回復し、眼鏡が要らなくなってしまったとか。 写真は以下のURL より転載。
http://blog.livedoor.jp/yagimilk/archives/51869211.html

─とても魅力的な動き方をしているように見えるけれど、本人は「しんどかった」と言う。…そもそもなぜ市議選に出たんですか?

森山 2010年の12 月に、ある衆議院議員さんから「来年4月の地方選挙に出てみないか?」という打診を突然もらったんです。

 でも最初は断った。「俺らは十分やっているし」って。これまでに数軒の店を開き、お客さんや横のつながりもつくってきた。「政治家だけが政治をやっているわけじゃないでしょう?」という自負があったんです。

 ただすごく閉塞感は感じていた。横のつながりをもう一声際立たせてゆくには、一つには公共スペースの活用が要るなと感じていたんです。個々の店から一歩出たところでいろんなことができると面白い。商店街や公園や空き地を活かして、まちを劇場にしてゆくというか。そこには行政の壁がありました。たとえば近くに旧内山下小学校という廃校があります。そこを、文化・芸術を通じて人々が公共にかかわってゆける拠点に、と思って役所に話しに行ったのだけど、まったく聞いてもらえなかった。

 いまは使えるようになって、昨年の秋は、障がい福祉をめぐる固定概念を音楽や演劇で飛び越えている方々を招いて、「瀬戸際世界芸術祭」というイベントを開催しました。

 まちには個性もアイデアもある若者が沢山いて、活躍している。彼らの意見を聞けば、もっと低予算でもっと面白いことができる。だけど行政が言う市民って、岡山市ではやっぱり町内会で、そこは限界集落的な状況で若者たちがいない。とくにまちなかには、町内会に入っていない多様な生き方をしている人の方が多いわけです。職員もそういう人たちを避けているわけじゃなくて、声を聞いてみたいけれど聞き方がわからない。

 自分が行政側に行くことでそこがつながり、培ってきたつながりがもっと立ち上がってゆけるんじゃないか? という期待はあったし、まわりのみんなもそこに希望を見出そうとしていると思う。

 でも中心市街地活性化のことだけなら、自分は選挙には出なかったと思う。決定的だったのは息子のことです。うちには3人子どもがいて長男がいま小2なんですけど、彼は妊娠後半年で生まれてしまった。800gでね。集中治療室に入るんですけど、脳に酸素が足りず脳梗塞かなにかを起こし、いわゆる知的に障害のある子どもとして生まれてきたんです。身内にそういう人がいなかったので、僕らは突如当事者になって。

 療育ってご存じですか? 医療と教育を足して2で割ったような、障害のある子どもたちを対象にした支援プログラムがあって、店をやりながら僕らもそこに通わせていました。けど、発達障害児と呼ばれる子どもたちはその施設だけで何百人もいて、さらにそういう子が生まれてくる数は増えているという。息子を含め「この子たちこれからどうなるんだろう?」という不安を感じたし、現場で働いている人たちがすごく疲れている様子も見えて。若い世代もいるけれど、支援する側が疲弊してしまっている現状を知った。

 福祉のことは不勉強で、ファッションやカルチャーの領域で生きてきたわけです。大変な仕事であることはわかるけれど、もっとうまく楽しいものに出来ないか。僕らのような人間がかかわってゆくことで、福祉教育の現場の閉塞を打ち破れるんじゃないかなとか、そんなことも、うっすら感じていたんです。