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数理的発想法6 セミとモンシロチョウが教えてくれた進化の真実 文:仲俣暁生

日本はガラパゴスでいい

数理的発想法

 「囚人のジレンマ」で有名な「ゲーム理論」の考えは、最近は経済学などに広く応用されているが、この数理モデルを進化論や生物学にあてはめたのが、先にも名を出したイギリスの生物学者、ジョン・メイナード・スミスである。彼がジョージ・プライスとともに提唱した「進化的に安定な戦略」(ESS)という考え方に、吉村さんも大きな影響を受けている。

 吉村さんの「環境変動説」にたつと、生物にとって生存のための最適解は「協調」となる。これは「囚人のジレンマ」において「裏切り」を最適解とする、昨今の経済学とは結論が異なる。

「いまの経済学におけるゲーム理論は、人間の行動には制約がないという前提で考えている。しかも、「誰かが必ず生き残る」という想定でやっているわけです。でもそれは、試験管の中のショウジョウバエで進化を考えるのと同じで、実際の環境を考えていない。一匹だけの場合は「裏切り」が最適解となるかもしれないけど、その裏切りが社会全体をつぶすとなったら、それは裏切者自身(を含む全員)にとっても、いちばん損な選択になる。

 従来の進化論である「総合学説」のフレームワークもこれと同じで、「裏切り者がいちばん強い」という結論なんですよ。でも実際は、最後の一匹となって生き残っても、相手がいなければおしまいなわけです。そういう社会は長続きしない、長続きをするためにはまったく違う戦略が必要なんです」

 進化論は生物の世界を越えて、心理学や経済学など、人間社会の分析にももちいられるようになっている。しかし逆に、社会の進展が進化論自体に歪みを生じさせているところもあるのではないか。

「進化論の理解にバイアスがかかってきたのは、20世紀になってきてからですね。ダーウィンの頃はまだ自然淘汰のプロセスがよくわかってなかったから、進化論という考え方自体が浸透していく時期だった。でもその後に「総合学説」が出てきて、「適者生存」、つまり弱者は排除するという傾向が強く打ち出されることになった。進化の起源である生命の誕生から「協力」という概念があったことが忘れられてしまったんです」

 強い者だけが生き残ればいいという、いわゆる「社会ダーウィニズム」が、いまも日本では吹き荒れている。そのような進化論の俗流解釈の最たるものは、日本の閉鎖性を「ガラパゴス」として批判する議論だろう。

 外部の世界から生態系的に完全に隔絶され、しかも多様な島で構成されたガラパゴス諸島で観察された、この島の固有種である小鳥フィンチのもつさまざまな特徴が、ビーグル号でこの島を訪れた若き日のダーウィンに「進化論」という発想のきっかけを与えたことは、科学史の常識である。

 それがなぜか、最近では「ガラパゴス」という言葉が「世界から孤立していると生き残れない」という議論の代名詞として使われるようになってしまった。科学からこれほど遠い話はない。

「でもそうじゃなくて、日本は例外地域だから生き残れるんですよ。日本企業が長命なのは、ロングタームでの成功を実現するために動いているからです。

 日本には創業から300年を越えて続いている会社がたくさんある。いちばん古いのは金剛組という宮大工の会社で、これはなんと飛鳥時代から続いているそうです。創業から100年を超す企業は海外にはほとんどありません。日本にはそれだけの存続システムがあって、企業が長く続くために何をしたらよいかがわかっている。ある意味で、それは競争を阻害しているけれど、実際はそれが長続きするためのストラテジーなんですよ」

 現在の吉村さんの研究対象は生態学にとどまらず、経済学や労働論など多岐にわたる。取材のため研究室に伺った日も、直前まで行われていたディスカッションの跡である、黒板の板書が残っていた。

「これは植物群落の研究をしているんです。森林や草原の植物群落をみると、何十種もいるわけです。東京の空き地とかをみても、20種とか30種の植物がいますよね。その理由が、じつは理論的にはよくわからない。計算上は、環境が一定の状況なら、一種か二種になってしまうはずなんです。それなのに現実にはなぜ何十種もいるんだろう、ということを考えて、そのための数理モデルを検討しているところです」

 進化論における最適化という考え方を労働問題にあてはめた、「労働最適化」も現在の研究テーマの一つだ。昆虫の生態を追いかけているうちに、いつしか人間社会のリアルな問題も考えなければならなくなってしまった。

「もともとチョウチョをながめて、一生楽して暮らすはずだったんです。こんなに苦労しなくちゃいけないというのは、いまの社会がどこかがおかしいんですよ(笑)」

 10以上の研究プロジェクトに並行して関わっているという吉村さんの脱領域的な活動のベースにあるのは、「モンシロチョウの心」を想像しながら理論を練り上げていった頃と同じ、他者へのいたわりに満ちた想像力なのではないか。

吉村 仁 Yoshimura jin
数理生態学者

1954年、神奈川生まれ。ブリティッシュ・コロンビア大学研究員、インペリアル・カレッジ個体群生物学センター研究員などを経て、現在は静岡大学教授およびニューヨーク州立大学兼任教授、千葉大学客員教授。専門は数理生態学で、主に進化理論を研究している。1987年に発表した環境不確定性の論文が、進化理論研究の第一人者、英国のメイナード・スミスらが書いた「Nature」レビューに引用され欧米で一躍注目を集めた。一般書に、『素数ゼミの謎』(文藝春秋)、『17年と13年だけ大発生? 素数ゼミの秘密に迫る!』(ソフトバンク クリエイティブ)、『生き残る生物 絶滅する生物』(日本実業出版社、共著)、『強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論』(新潮社)など。

静岡大学創造科学技術大学院 教授 工学部数理システム工学科・工学研究科(兼担)、千葉大学海洋バイオシステム研究センター客員教授、ニューヨーク州立大学環境科学林学校兼任教授。

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