本文へジャンプ

Open Middleware Report Web

Hitachi

数理的発想法6 セミとモンシロチョウが教えてくれた進化の真実 文:仲俣暁生

モンシロチョウの気持ちになる

数理的発想法
研究室の書庫には「ネイチャー」「サイエンス」といった科学雑誌のバックナンバーがぎっしりと並んでいる。

 個体が子孫を最大化させる戦略を重視する、「総合学説」と呼ばれる従来の進化論の支配的な学説に対し、吉村さんは、「環境」という概念を導入したうえで、種全体の生き残りを重視する、「環境変動説」という見方を唱えている。

「もともとはモンシロチョウの研究からはじめたんです。モンシロチョウを実際に外でながめて、その行動を理解しようとした。ちょうど僕が大学に行った頃にビデオカメラというものがでてきたので、モンシロチョウを撮影し、蝶が何を見て、何を判断しているのかを解いていこうとしたんです。ようするに蝶が何を考えているのかが知りたかった。それが推定できなかったら、科学なんてできないだろう、と思っていたんです。ファーブルがやったことと同じですよ(笑)」

 モンシロチョウはいかにしてパートナーをみつけ子孫を残すのか、その過程でどんな行動をとるのかといったことを、吉村さんはフィールドワークを通じて理解していった。幼少時から昆虫採集に夢中になり、小学校5年のときにはすでに、大学の理学部に行って自分は生物学者になると決めていたほどの、いまでいうオタクで、一途な昆虫少年だったという。

「とにかく、モンシロチョウのオスの気持ちになってみた。そう思って観察していくと、自分と交尾を拒否していないメスをキャベツ畑で見失ったオスは、それまでとはまったく違う飛び方をする。必死になって見失ったメスを探しまわったり、その場所から冷静にジグザグ飛行でメスを集中探査したりするんです。そうやって、モンシロチョウの行動決定のダイナミックなプロセスを調べていきました。

 進化論のいう自然選択という過程は、オスが何匹のメスと交尾し、そのメスが何個の卵を産み、幼虫がどのくらい生き残って何匹が次世代の「親」になるのかということまで、すべて考えなくてはわからない。僕はそれを一つひとつ、蝶の立場になって考えていくんです。おなじモンシロチョウの種にも、多くのメスと交尾を果たす「リア充」もいれば、パートナーを得られない気の毒なオスもいる。それらすべてを合わせて考えないと、その種がどのくらい生存するかはわからないわけです。

 従来の進化論(総合学説)は、強いものがいつも得をする、いちばん強いものが生き残るとしてきた。でも僕は、いつも悲恋をあじわってきた弱い側の立場にたって考えた。その結果、強いものがいつも勝っているかというと、そうじゃないということに気づいたんです。

 ニューヨーク州立大学の大学院でそんなことを一生懸命考えていた頃、英語ができないといけないので、学部の英作文の授業もとっていた。その授業であるとき、宿題の作文が出た。何を書くか悩んだ末、〈モンシロチョウの心〉を書こうと決め、モンシロチョウの悲恋ストーリーを書きはじめたんです」

 英作文の宿題として書かれた「物語」は、やがて吉村さんの学位論文にまとまる。進化論に「環境不確定性」という考え方を導入した1987年のこの論文が進化論学者の大御所であるジョン・メイナード・スミスの論文に引用され、欧米でいちやく注目を浴びた。吉村さんの研究の原点である。

ダーウィンやファーブルのようなオリジネーター

数理的発想法
研究の合間に読むのはライトノベル

 基本的に論文はすべて英語で書くという吉村さんの研究は、いまも海外での評価が高い。

「イギリスのインペリアル・カレッジの研究員をしていた頃、僕の物語仕立ての論文を読んだ教授たちが、「絶品だ」「これは別格だ」と言ってくれました」

 さすがはダーウィンのような大科学者を生んだ国である。たしかに吉村さんの書く本は、進化論や生物科学がまだ若々しかった時代の、ダーウィンやファーブルといった先駆者たちが書いた読み物を思い出させてくれる。

「科学の本質は変わらないと思うんですよ。科学にもいろいろあって、コンピュータで巨大計算をするような科学もあれば、そうじゃない科学もある。僕は難しい数式が使えないので、そこは友だちの学者にやってもらい、いちばんシンプルなところだけをやっているんです。

 誰かがつくったパラダイムを一生懸命に覚えてやっていけば、それをリファインすることはできるんですよ。でもいちばん大事なことは、ベーシックなところからちゃんと考えて、そのパラダイムが生まれるまでの隠れた過程を考えることなんです。いまは皆が、あまりにも学びすぎちゃっている。記憶しすぎたり学びすぎると、いい科学っていうのは出てこないんです。

 科学というのはビジョン、つまり科学観、世界観が必要なんです。僕は生物をどうとらえるか、自然科学をどうとらえるかを考えるために、量子力学も物理も経済学もやっている。それらすべてをやらないと世界観が出てこないんですよ」

 吉村さんは「環境変動説」という進化論の考え方をいまも展開している。日本で一般向けの本として刊行された『強い者は生き残れない―環境から考える新しい進化論』(2009年、新潮社)と『なぜ男は女より多く生まれるのか―絶滅回避の進化論』(2012年、筑摩書房)には、まだ英語の論文にも書かれていない、オリジナルな知見をつめこんだという。

「よく誤解されるんですが、僕の書いている本は科学啓もう書じゃないんです。もちろん啓もう書にもいい本はたくさんある。本川達雄さんの『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)などは絶品だと思います。ほかにも日高敏隆さんの本など、日本の学者が書いたとてもいい本がたくさんあるけれど、みんな啓もう書なんです。

 何が違うかというと、僕ら科学者はオリジネーターなんです。その意味ではファーブルと同じで、自分のやったことを書いているだけです。

 『強い者は生き残れない』の第三部(新しい進化理論―環境変動説)は、まだ英語でさえ一つも論文にしていないことを書きました。この本では数学を使うことを出版社に禁じられたので、次の本を書くことになり、それが『なぜ男は女より多く生まれるのか』になった。この本で僕は、進化原理には二つあり、「長期最適化の原理」と「短期最適化の原理」は違うということを書いています。これは前の本を書いたときには、まだ気づいていないことだった。つまり、本が出るたびに理論が新しくなっているんです」