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数理的発想法6 セミとモンシロチョウが教えてくれた進化の真実 文:仲俣暁生

いつの時代も、創造性の核には個人の「発想」があった。
「発想」をかたちにするには技術のたすけが必要だが、情報通信技術の発展は、そのプロセスを大きく変えた。
「発想」にはじめから、技術がビルトインされるようになったのだ。
そうした発想のあり方を、かりに「数理的発想法」と名づけてみた。

今回ご登場いただくのは、数理生態学者の吉村仁さん。
北米で十数年置きに発生する周期ゼミの不思議な生態の謎を解いたことや、進化論への新しいアプローチで知られる、世界的な研究者である。
彼の目に映る昆虫や植物の生態は、グローバル化する社会のなかで人間が生き延びていく上でのヒントを与えてくれる。
今回のキーワードは〈強調〉と〈進化〉である―。

数理的発想法

数理的発想法
きれいにピンでとめた標本箱は昆虫少年時代をほうふつとさせる

 ある日のこと、仕事の合間にながめていたFacebookに投稿されていた映像に目が止まった。それはアメリカで大発生しているという、想像できないほどの無数のセミの映像で、タイトルには「素数ゼミ」とある。グロテスクなほど密集して木にとまるセミの群れも不思議だったが、なによりセミと素数の組み合わせが気になり、この話題を追いかけていると、『素数ゼミの謎』という本があることを知らされた。

 著者は静岡大学の吉村仁教授。素数ゼミとは、北米大陸のいくつかの地域で13年あるいは17年に一度、大量発生するセミの総称で、一般的には「周期ゼミ」と呼ばれる。「素数ゼミ」と呼ばれるのは、発生周期がいずれも素数(1とそれ自体でしか割り切れない数)の年であるためだ。

 『素数ゼミの謎』は、まるで子供向けの絵本のようにイラストと解説図をふんだんにもちい、平易な文章で綴られている。

 なぜ素数ゼミは、日本のセミのように毎年発生するのではなく、幼虫として長い年月を地下で過ごしたのちに地上に出てくるのか。なぜ一定の狭い範囲に、その発生が限られるのか。そしてなにより、なぜ13年と17年なのか。この本はその三つの謎を、進化論の考え方に数理的なアプローチを組み合わせることで鮮やかに解き明かす、知的でスリリングな読み物だった。

 周期ゼミに「素数ゼミ」との呼称を与えたのは、吉村さんだ。また彼は、1926年にブラウン管による映像の電送と受像(最初の送信ではイロハの「イ」の字が表示された)を世界ではじめて成功させた「テレビの父」、故・高柳健次郎氏を母方の祖父にもつという。どうしてもこの人に会ってみたいという気持ちになり、浜松の静岡大学工学部に吉村さんを訪ねた。

「素数ゼミ」は氷河期が生んだ

数理的発想法
冷凍保存されている素数ゼミの標本

 研究室のあるフロアでまず見せられたのは、アルコール漬けになった大量のセミのサンプルだった。パック詰めされ、フリーザーで保存されているセミは、遺伝子の解析にもちいられるという。

 セミの収集は、研究室のスタッフとともに渡米して行う。ニューヨーク州立大学とノースカロライナ州のデューク大学、バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学で12年にわたり研究生活を送った吉村さんにとって、北米大陸はホームグラウンドのようなものだ。

 『素数ゼミの謎』という本のもとになったのは、1996年に「アメリカン・ナチュラリスト」という科学雑誌に掲載された吉村さんの論文、「氷河期における周期ゼミの進化の起源」である。

 周期ゼミの幼虫が長い期間を地中で過ごしたのち、限られた場所で一斉に羽化する理由を、吉村さんは氷河期における祖先ゼミの生き残り戦略のなごりと推論した。そして絶滅を回避できたのが、なぜ13と17という素数年の周期をもった祖先ゼミだけであったのかを数理モデルで説明した。

 しかも吉村さんはこれらを論じるペーパーを、物語仕立てにしたのである。『素数ゼミの謎』という本は学術論文を子供向けにアレンジしたものではなく、最初の論文がそもそも「物語」だったのだ。

「原文の英語の論文ですら、子供向けみたいに物語なんです。表現法が最初から違っていて、「周期ゼミには昔こんな祖先がいて…」といった物語が、章立てで書いてある。1991年にバンクーバー島の海洋研究所に行ったとき、友だちに『お前はどんな問題でも解くけど、「周期ゼミ」がなぜ13年あるいは17年ごとにしか羽化しないのか、という謎は解けないだろう』と言われた。一晩考えたら、次の日にはこのストーリーが浮かんだので、2ページにまとめたペーパーをまず書いたんです。

 その後、セミ同士の出会いの可能性を書いた表をつくって、さらに考えつづけた。14年、15年、16年……という風に周期を書いていくと、17年が突出的に(出会いと出会いの間隔が)長くなるんですが、ケースがいくつもあって、周期のことなる2種が出会うこともあれば、3種が出会うこともある。それはあんがい面倒くさい確率計算なんですが、この表があれば論文になるな、と思っていた。

 その後、日本の知り合いの先生が「君は論文が少ないので、書いたら推薦してあげる」と言ってくれたので専門誌に送ってみたところ、査読のレフリーだった現役のセミの学者から、「これだけでは短かすぎてよくわからない。フルペーパーにしなさい」と言われた。それでいったん論文をひっこめて、1〜2年かけてフルペーパーにし、『アメリカン・ナチュラリスト』に送ったんです」

 この論文がのちに日本の出版社の目にとまり、翻訳されたうえで石森愛彦さんのイラストレーションを添えて2005年に『素数ゼミの謎』(文藝春秋)として刊行された。これは吉村さんにとってはじめての一般向け著書だったが、たちまち評判となり、多くの新聞や雑誌に書評が掲載された。現在も順調に版を重ね、ロングセラーとなっている。

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