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みどるな障がい者施設の冒険 福岡の障害福祉サービス事業所「工房まる」を訪ねて 文:西村 佳哲

障がい者施設は、彼らを囲い込む場ではないし、生活訓練のためだけの場でもなくなってきた。
彼らの世界と社会の間をつなぐ、第三空間のような場づくりが増えている。

そのつくり手たちはいま、どんなことを考えているのか?
ある施設を運営する2人の話をきいてみた。

みどるな障がい者施設の冒険

障害は"間"にある

みどるな障がい者施設の冒険
野間の「工房まる」では、夏には流しそうめんやスイカ割り、冬には餅つき大会が行われ、近隣地域の世代間交流になっている。「餅つきの日は老人会のお爺ちゃんお婆ちゃんが朝早くから待機しているんですよ。『あんた遅い』とか言って(笑)」。メンバーの滞在時間は10〜15時半。それ以外の時間帯に、地域の人たちが公民館的に利用することも。

 平成25年度の内閣府「障害者白書」によると、身体・知的・精神の3区分における障がい者数は、国民のおよそ6%にあたるという。他の障がいや、福祉制度の対象に含まれていないボーダーラインの人々まで含めると、この数はさらに大きくなるだろう。

 しかしこれまで生きてきた時間の中で、僕はその人たちの姿を、その割合ほど高くは見かけていないと思う。彼らはどこで暮らしているのだろう?

 障がいを抱えて生まれてきた人の多くは、特別支援学校に通い、幼稚園・小中学校・高等学校に準じた教育を受ける(特別支援学校=以前の盲学校・聾学校・養護学校。2007年の学校教育法改正で包括された)。そして卒業すると一般企業の障がい者雇用枠や、福祉作業所に職を求めたり、あるいは生活的なケアを提供する施設を利用する。

 むろんめいめいの状況には個別性があり一概には言えないのだけれど、彼らは自宅と、こうした施設の間を行き来しながら暮らしている。

 福岡の障害福祉サービス事業所「工房まる」は、34名のメンバー(障がい者)が利用している施設だ。スタッフは非常勤を含み20名。メンバーは日・月曜以外の週5日間「まる」に集まって、それぞれの作業にはげむ。

 ただし旧来の授産施設と違ってここでは企業等の下請け仕事でなく、メンバーが得意なことや、つづけられることを活動にしている。具体的には木工、絵画、陶芸。それぞれの工房や道具立てがあり、スタッフが彼らとともにその成果物を商品に仕立ててゆく。絵がTシャツになったり、カフェで使われる食器がつくられたり、猫をモチーフにした壁掛け時計が大人気だったり。

みどるな障がい者施設の冒険

 つまり「まる」では、与えられた仕事でなく"自分たちの仕事"づくりが重ねられている。

 その中心人物は、今年42歳の吉田修一さんと、39歳の樋口龍二さんの2人。彼らは社会福祉士などの教育課程を経てこの仕事に就いたわけではない。吉田さんは写真を学ぶ学生だった頃に、樋口さんは高校を卒業して染織会社で働いていた頃にこの世界と出会ったそうだ。

吉田 僕は大学生の頃、自分の意志をはっきり口にするのが苦手なタイプでした。反発されるのが怖い時期があって。そんなある日ふと、「思いはあるけれど能力的に障害があって言葉にできない人は、どうやってそれを伝えているのかな?」と思ったんです。

身体・知的・精神等の障がい区分ごとの利用者で構成される障がい者施設が一般的には多いと聞くが、見たところ「まる」には多様なメンバーが通っている。吉田さんいわく「多岐にわたる知識を得てゆく難しさは感じているものの、目指すべきはインクルーシブ(障がいの有無にかかわらず誰もが地域の学校で学べる教育のあり方を指す概念。2011年の改正障害者基本法に理念として盛り込まれた)であると思っている」とのこと。
身体・知的・精神等の障がい区分ごとの利用者で構成される障がい者施設が一般的には多いと聞くが、見たところ「まる」には多様なメンバーが通っている。吉田さんいわく「多岐にわたる知識を得てゆく難しさは感じているものの、目指すべきはインクルーシブ(障がいの有無にかかわらず誰もが地域の学校で学べる教育のあり方を指す概念。2011年の改正障害者基本法に理念として盛り込まれた)であると思っている」とのこと。
身体・知的・精神等の障がい区分ごとの利用者で構成される障がい者施設が一般的には多いと聞くが、見たところ「まる」には多様なメンバーが通っている。吉田さんいわく「多岐にわたる知識を得てゆく難しさは感じているものの、目指すべきはインクルーシブ(障がいの有無にかかわらず誰もが地域の学校で学べる教育のあり方を指す概念。2011年の改正障害者基本法に理念として盛り込まれた)であると思っている」とのこと。

 それで障がい者と呼ばれる人たちをテーマに撮影してみたくなって、ある養護学校に了解をいただいて、卒業制作として3ヶ月ほど通った。でもいざ行ってみると、どうすればいいかまったくわからなかったんですよね。いままで出会ったことのないような人が、大勢いたものだから。

 とりあえず、お世話になったそこの先生の見様見真似で彼らに接し始めてみました。だけどじきに、すごく疲れてきた。自分自身ではないからですね。ずっと誰かの真似をしているわけだから。

 それであらためて、写真撮影に集中し直したんです。そうしたら彼らの方が僕に興味を持ち始めた。「なんか首からぶら下げた兄ちゃんが来てるよ」って。言葉には出ないのだけど、僕のカメラに手を伸ばして来るようになったり。僕も触らせてあげたりして。そのコミュニケーションの始まりがすごく新鮮で。

 それまで彼らは自分にとって「何かしてあげなきゃいけない人」で、コミュニケーションが難しいというか、取れないと思っていた。けどカメラをきっかけになんとなくコミュニケーションが始まって、「あ、これでいいんだ」と。「○○してあげなくちゃ」と急いでかかわらなくても、時間をかけて、ゆっくりつながっていけばいいんだとそこで思ったんですよね。

 そのあと大学院に進み、修了制作でまた同じテーマを選んだんです。今度は福祉作業所などの施設や、ご家庭にも入れてもらいながらいろいろな現実を見聞きして。

 卒業後、利用者5名の小さな作業所で働くことを選んだんです。そこで一年間働いてゆく中で、次第に想いが高まっていって。たまたまその作業所が次の担い手を探す状況になったとき、「自分がやります」と言ってしまった。そして名前を「まる」と付け直してこの作業所を始めたんです。

樋口 僕が合流したのはその一年後ですね。1998年。吉田は大学時代にうちの兄貴とバンドを組んでいて、よく会っていました。その彼が勤めていた施設を改装して自分で始めると聞いて、内装工事を手伝いに行き、オープンしてから「来てみてよ」と誘われた。

 僕は小・中学校のとき、特別学級の人たちと仲良くできた方だと思っていたので、「大丈夫、大丈夫。OK、OK」という調子で、ガチャっとドアを開けたところで「うわぁ…」となった。車椅子の人がたくさんいるし、仰向けになって寝そべっている人もいて。

 そのときのメンバーは8人くらいだったけれど、僕は彼らがいる空間の方に、なかなか入ってゆけなかったんです。「挨拶していいんだろうか?」「テレビ番組みたく『こんにちはー!』みたいなテンションで入ってゆかなくちゃいけないのかな?」「でも吉田くんに見られるのは恥ずかしい」という感じで、なかば固まってしまって。

 「とりあえずそこにギターがあるから、向こうに行って弾いてみれば?」と言われて、「こんにちわー」と近づいてみたら、2人くらいのメンバーが「弾いてー」という感じで寄ってきたんです。

 そこでちょこちょこ鳴らしてみたら、気持ちよかった。音を出すと反応してくれるし、遠目に「いいなぁ」という感じで見てくれている人もいて。楽しい。けど、「さっきまでなぜ近づけなかったのか?」と。そこを追求したくなって。

 結局その日は丸一日いて、メンバーを家に送ってゆくところまで全部ついて行った。お母さんたちにも会い、するとみんな普通に元気で。「なんだこれは?」と思いながらその夜一緒に飲んでいたら、吉田が「障害って"間"にある気がするんだよね」と言ったんです。

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