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数理的発想法4 「弱い」ロボットが、新しい「人間観」を切り開く 文:仲俣暁生

人間とロボットの関係性を探る

 『弱いロボット』という本は、きわめて高度な内容を扱っていながらも、平易でわかりやすい言葉で書かれている。これはギブソンや佐々木正人氏の本にも言えることだが、理論よりもまず具体的な例を挙げて、腑に落ちる説明がなされる。ここでも「頭(理論)」より「腑(身体)」が優先されているように思える。

 「エッセイ風にものごとを考えるというのが、わりあいに好きですね。大学時代に寺田寅彦さんや朝永振一郎さんのエッセイを読んで、ああいうものの書き方はいいなぁって。僕はああでもないこうでもない、という感じで、ひとつのことをボーッと五年、十年かけて考えるタイプなんです。そうすると、生活のなかでちょこちょこと、そのときに考えていることに当てはまる例がある。キチッとした理論があるわけではないので、そうやってみつけたメタファーを説明によく使うんですが、学会からは嫌われるんですよね。メタファーはどうにでもとれるので正確じゃない、って」

 ギブソンの「知覚システム」やブルックスの「環境を味方にする」という考え方は理論としてだけでなく、研究の仕方そのものにおいて岡田さんの仕事に大きな影響を与えたようだ。彼が何度も口にする「行き当たりばったり」「人に委ねる」といったあり方は、彼の研究スタイルであると同時に、それ自体が真摯な考察対象でもある。

 「「トーキング・アイ」の次の「ゴミ箱ロボット」は、ギブソンの生態心理学の考え方をもとに、社会文化的アプローチの発想から生まれてきたんです。このときはレフ・ヴィゴツキー(旧ソ連の心理学者)のいう、「一人では何もできないことが発達のベースになっている」という考え方が大いに参考になりました。

 僕がずっと考えてきたのは、「一人でできることが、そんなにすごいことなのか」ということなんですね。母が子を育てるときは「早く一人前になってね」と言い、学校の試験を受けるときは誰の助けも借りてはいけないし、カンニングもできない。子育ても学校教育も「一人でできる」ということを目標にしている。企業から大学に来てみたら、「試験は一人で受けるなんて、まだこんなことやってるのか」って、ビックリしたんですね。

 ふつう世の中では、知らないことは知っている人に聞けばいいし、むしろそれがすごく大事なんです。実際にロボットのようなモノをつくってみるとわかるけれど、一人でできることなんてほとんどない。だからこのプロジェクトでは、みんなで寄ってたかってロボットをつくる。そのときは「知らないことは知ってる人に聞く」ということがベースになっています。そういう文化をつくると組織の中に「組織知」みたいなものが生まれて、どんなロボットでもできてしまう。

 認知科学の中では、コミュニケーションと遊びと学びがみんなつながっています。「学びの場のデザイン」がひとつの面白い研究テーマになっていて、それには生態心理学やマルチエージェントの話がぴったりはまる。なんでも一人でやることをよしとする「個体能力主義」という常識を一回カッコにくくって、状況論的な教育を大学の中にもちこんでみたいという、ちょっとした夢があって、この「次世代ロボット創出プロジェクト」をつくったんです」

 ロボットはこれからどうなるのか。現在の研究テーマを最後にうかがった。

 「桜の季節のある朝、公園をちょっと散歩しようと思って出かけたら、おばあちゃんがロボットを抱っこしながらひとりでぽつりと立って、花見をしていた。小雨が降っているなかで、「きれいだね、きれいだね」って、そのロボットに桜を見せている姿を目にして、ゾッとしたんです。痛々しいとか、いたたまれないとか、ロボット屋の一人としてこういうものを提供してしまったことへの罪悪感とか、いろんな気持ちが自分のなかで湧きました。

 これから福祉現場にもロボットが入り込んできたときに、ロボットが自動的に口元までご飯を運んだりするのを想像すると、やはりゾッとするわけです。こういうときに感じる痛々しさの理由を探ろうと、他の研究者との共同執筆で『ロボットの生態学』という本を書こうとしています。

 本当は『ロボットのエシックス(倫理学)』という題名にしたかったんですよ。それはロボットの作り手の倫理でもあるし、ロボット自身の倫理でもあるんですが、これから人間とロボットはどういう関係としてあるべきなのかを、そろそろしっかり考えないといけない。結論はでなくても、問題提起だけでもいいかな、って」

 ロボットを抱いたおばあさんを見て、岡田さんが「痛々しい」と感じたのはなぜだろう。実際はコミュニケーションなど起きていないのに、おばあさんは幸福を感じている。本人はたとえ幸福でも、それを見ている人にとっては、心が痛むことなのだ。もちろん、その逆に、当人の不幸に周囲が気づかない場合もあるだろう。ロボットと人間の関係はどうあるべきかというテーマは、まだ手つかずの分野だ。

 こどもの頃に読んだアイザック・アシモフのSFに、「ロボット三原則」というのが出てきた。遠い未来の絵空事だと思っていたが、ロボットと人間の関係性について真面目に考えなければならない時期がきている。そのときに大事なのは、「頭」で考えたプランではなく、一見「行き当たりばったり」でありながらも、身体感覚でとらえられたリアリティだろう。それは別の言い方をするならば、「弱さ」への感受性ということかもしれない。「ロボット」が強さや自己完結の象徴ではなくなったとき、「人間」に対する私たちの考え方も大きく変わっていくのだろう。

「対峙する関係」から「並ぶ」関係へ。しかし、ロボットと人間の関係はどうあるべきかというテーマは、まだ手つかずの分野だ
<「対峙する関係」から「並ぶ」関係へ。しかし、ロボットと人間の関係はどうあるべきかというテーマは、まだ手つかずの分野だ>

岡田美智男
Okada Michio
豊橋技術科学大学教授

1960年生まれ。1987年東北大学大学院博士後期課程修了、同年NTT基礎研究所情報科学研究部。音声認識、自然言語処理、プラン理解などを統合する音声言語システムの研究、および生態心理学や状況論的なアプローチに基づいた非流暢さを伴う発話生成機構(=口ごもるコンピュータ)の研究を行う。1995年より国際電気通信基礎技術研究所(ATR)に移り、ソーシャルなエージェント「トーキング・アイ」やソーシャルなロボット「む〜」を開発。1998年から2006年まで、京都大学大学院情報学研究科客員助教授を兼務。2006年より現職。最近の研究分野は、ヒューマン=ロボットインタラクション、ソーシャル・ロボティクス、コミュニケーションの認知科学。研究プラットフォームとして「ゴミ箱ロボット」「トーキング・アリー」などの関係論的なロボットを開発している。文部科学省の委託事業として進めてきた「次世代ロボット創出プロジェクト」および「TUTオープンチャレンジプロジェクト」のプロジェクトリーダ。著書に『弱いロボット』(医学書院)、『口ごもるコンピュータ』(共立出版)、共編著に『身体性とコンピュータ』(共立出版)など。

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