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数理的発想法2 コミュニティが〈アーカイブ〉をアップデートする 渡邉英徳 文・仲俣暁生

いつの時代も、創造性の核には個人の「発想」があった。「発想」をかたちにするには技術のたすけが必要だが、
情報通信技術の発展は、そのプロセスを大きく変えた。「発想」にはじめから、技術がビルトインされるようになったのだ。
そうした発想のあり方を、かりに「数理的発想法」と名づけてみた。

連載の第二回目に登場していただくのは、広島と長崎の原爆や東日本大震災といった大きな出来事の記憶/記録を、Google Earth という仮想空間上にビジュアライズする仕事をしてきた情報アーキテクトの渡邉英徳さん。今回のキーワードは〈アーカイブ〉である—。

 「アーカイブ」という言葉を目にする機会が、このところ増えている。こころみにインターネットで検索してみると、何々アーカイブと名のついたウェブサイトがいくつも見つかる。テーマや分野は異なれど、これらのサイトは従来アナログのかたちで保存されてきた文書や画像、映像の資料をデジタル化し、その一部あるいは全部をネット上で公開したものであることが多い。

 そもそもアーカイブとは、日本では「公文書館」や「史料館」と呼ばれる、各種史料の収集・保存の場所や仕組みのことだ。こうした伝統的な意味でのアーカイブにくわえ、近年ではデジタル・メディアで大量のデータを圧縮・保存することを指す、工学的な仕組みとしての「アーカイブ」という言葉も市民権を得つつある。2つの「アーカイブ」は、本来は異なる文脈にあった言葉だが、ネット上のさまざまなデジタル・アーカイブは、その両者が重なりあうところに存在している。

 首都大学東京の渡邉英徳さん(准教授)は、こうした2つの意味を持つデジタル・アーカイブのプロジェクトをいくつも手がけてきた。2012年の「ナガサキ・アーカイブ」を皮切りに、2011年には「ヒロシマ・アーカイブ」と「東日本大震災アーカイブ」を相次いで発表、さらに2012年には「沖縄平和学習アーカイブ」も総合監修している。これらはすべて、Google Earthを使ったインターフェイスが特徴となっている。

 渡邉さんの仕事はどのような発想にもとづいて生まれているのか。それを知りたくて、首都大学東京の彼の研究室をたずねた。

ツバル、ナガサキ、ヒロシマ

ナガサキ・アーカイブ
ナガサキ・アーカイブ


ナガサキ・ヒロシマ・アーカイブヒロシマ・アーカイブ

 この一連のアーカイブの仕事は、2009年にツバル・オーバービューというNPOの遠藤秀一氏と出会ったことがきっかけだった。

 「ツバルは、物理的にというより、心のなかで僕にとっていちばん遠い国だったんです。それなのに、突然そこに行くことになった。いま思えば、このときの遠藤さんとの出会いがすごく飛躍になりました」

 地球温暖化による水位上昇で水没の危機にさらされるツバル諸島は、地球環境破壊の象徴とされることが多い。だが、この島を何度も訪れている遠藤さんにとって、ツバルはたんなる「水没する島」ではなかった。400人の島民全員を撮影した写真と、島民自身によるコメントをGoogle Earth という「デジタル地球儀」の上にマッピングしていくことで、ツバルの「実相」を世界に伝えたい。渡邉さんはそのビジュアル化を担う役割で参加し、「ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクト」が実現した。このプロジェクトには「アーカイブ」という言葉は使われていないが、のちの諸アーカイブの原型となった。

 このツバルのプロジェクトを見てコンタクトをしてきたのが、長崎出身で電通社員の鳥巣智行氏だった。鳥巣氏は高校時代、核兵器の廃絶を求める「高校生1万人署名活動」の第1期生として活動してきた。

 当時、長崎への原爆投下から65年が経ち、被爆者の平均年齢は75歳を超えていた。いつかはすべての被爆者が世を去ってしまう。歴史の証人が完全にいなくなってしまう前に、その記憶を次代に残すための仕組みをつくる必要がある。そう訴える鳥巣氏との出会いが、「ナガサキ・アーカイブ」として結実した。

 長崎には長崎原爆にまつわる貴重な歴史的資料が数多く保存されていた。被爆当時の写真は長崎原爆資料館にあり、デジタルデータが公開されていた。被爆者の顔写真と証言は長崎新聞社が編纂した『私の被爆ノート』にまとめられており、こちらもHTMLベースですでにデジタル・アーカイブになっていた。原子爆弾による被害範囲のデータは長崎大学大学院にあり、1945年当時の長崎の地図は「写真物語 あの日、広島と長崎で」(平和のアトリエ刊)に掲載されていた。また「高校生1万人署名活動」が撮影した生存者の映像もあった。つまり、歴史的な史料という意味でのアーカイブは、すでに大量に存在していたのだ。

 渡邉さんの役割は、それらをGoogle Earth 上に重層的にビジュアライズしていくことだった。原爆投下当時と現在の長崎の写真をオーバレイによって地形のとおりに重ねあわせ、タイムスライダーで時間軸による変化も見られるようにした。TwitterやGPS情報のある写真の投稿をコミュニティからも募った。プロジェクト全体を地元の長崎新聞社が監修・製作し、渡邉さんは製作総指揮の役を担った。

 このサイトは2010年7月26日に公開され、8月15日までの間に約30万のページビューを達成した。2012年には、AR(拡張現実)によって実風景のなかに原爆直後の風景を重ねあわせられる、iOS向けのアプリも製作された。

 「ナガサキ・アーカイブは僕らにとっても予期せぬ大成功でした。2年前につくったものなのに、ナガサキ・アーカイブはいまだに話題になっている。何年たっても参照されるウェブコンテンツはめずらしいので、そのことを誇りに思っています」

 同様の方法で製作した「ヒロシマ・アーカイブ」はちょうど1年後の2011年7月に公開された。広島平和記念資料館、広島女学院同窓会、八王子被爆者の会などから提供されたデータをマッピングしただけでなく、地元の高校生や全国のボランティアと証言の収集活動を行なうことで「記録のコミュニティ」を、またTwitter などのソーシャル・メディアによってネット上にも「オンライン・コミュニティ」を、それぞれ形成していった。

 この「ヒロシマ・アーカイブ」の製作中に、東日本大震災は起こった。

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