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みどるな会議進行 みどるな会議進行 ミーティング・ファシリテーター青木将幸さんの話 文:西村 佳哲

ひとは自分の扱われ方に敏感

青木さんが仕事が終わってから帰宅する 電車の中で、かならず付けているというノート
青木さんが仕事が終わってから帰宅する 電車の中で、かならず付けているというノート。グラフ状に見える部分は、彼の短期記憶の中にある、先ほどまで行われていた会議のエネルギーの推移です。

青木 ファシリテーターは先生ではないし、その必要もないと思います。コンサルタントの人たちは「話し合いの実現」と「提案」という異なるシーンでの役割を、どう切り分けているんだろう?

 僕はそこはシンプルにしています。 上に立つ必要性はまったくなくて、むしろ低い方がいいくらいなんですよ。水は高いところから低いところへ流れるでしょう。言葉も、「わかりません」「知らないんです」と言う人がいることで動き出す。

 でもそう思うようになるまでにはいろいろな経験もあって。たとえば事務所をひらいてまだ1年目の頃、廃校利用について話し合う連続数回の住民会議の進行役を先輩のファシリテーターがある市から頼まれて、ご一緒させてもらったことがありました。その第1回の冒頭で、「全体の狙いはこうですから、今日はこんなことに注目して話し合ってみませんか?」と言った瞬間、「なんでお前がそれを決めるんだ」という声が会場から戻された。「すっこんでろ」「お前たちは要らない」と。

 先輩は名うての実力者だったけど、その日はその流れに二人ともくじけて。2回目に先輩が「あなた方にはこの角度からは見えていませんよね」という感じで、全国の廃校利用の例を持ち出して論破を試みたものの再び完全にはね除けられて。3回目からは進行役もはずされた。でも社協(社会福祉協議会)と契約済みなので、会場の隅に座って地域住民の方々が進めてゆく会議の様子をただ聞いているという、情けない思いをしたこともあって。

 このときは廃校利用について、かなり勉強して挑んだんです。すると自分たちなりに事前の課題整理が進むので、「こんな進め方でどうか?」と自然に手順を明示してしまう。そのつもりはなくてもどこか優位性があるというか、上から目線で。
人は自分の扱われ方や位置づけられ方に敏感ですよね。「俺たちの方が詳しい」なんて気配を示したら、もう水は流れない。

―今なら、その会議の冒頭をどう始めますか?

青木 「依頼主の○○市および社協には、『地域のみなさんの声を聞きながら計画をつくりたい』とうかがっています。そうは言っても今日は突然集められた感じの方もいたり、あるいはすでにアイデアや意見をお持ちの方もいたり、それぞれの感覚で座っておられるのではないでしょうか。なので、まずはどんな方がここに来ているのか? ということを含めて、一人ずつ少し言葉をいただければと思います」という感じで始めるでしょうね。,

 スケジュールや進め方について話す前に、集まっている人たちの声を聞くことを優先します。

 で、ぐるっと聞いて「ありがとうございました」と。「『まずこの辺から話したい』というご意見や『すでに具体案がある』とか、いろいろいらっしゃった。けれど『さっぱりわからない』『事情を知らない』という方もいらしたので、いちばんハンディがある人に少し合わせると言いますか。一応4時までと聞いていますが、その人も一緒に議論出来る形で、まずは土台のところを確認し、そのあと具体論に入ってゆく。そんな手順でいかがでしょう?」という具合に、みんなが乗れる進行案を示すことが出来れば「ああ。こいつは大丈夫だ」と認知してもらいやすいんじゃないかな。

関係性やエネルギーの変化を扱う

タスク≠ニメンテナンス
タスク≠ニメンテナンス
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 夫婦の関係においても、会社の運営においても、人と人のかかわり合いによって駆動する活動体(詰まるところすべての組織)には、タスク≠ニメンテナンス≠フ両輪が要る。

 目標の共有と、そこへ向かいうる状態(コンディション)の整備というか。企業のような場は一見タスクを中心に動いているように見える。が、健やかさの感じられる仕事場には、必ずこの2つの要素が適切なバランスで存在していると思う。

青木 それは右足と左足のようなものだと思います。「目的を大事にしよう」と右足をグッと前に出すと、メンバーの気持ちや関係性は置いてゆかれる感じがある。そこで、組織を構成している人間や個々の事情を大事にすると、今度は左足が前に出る。するともう一歩右足が出てという具合に前進してゆくのだと思います。

 で、僕がとりわけ得意なのは左足の方の扱いで、そっちを動かせなくて困っている組織には非常に喜ばれるわけです。左足を前に出せるようになる。すると、つづけて右足も出る。

 言い方を変えると、自分には組織の整体のようなことをしている感覚があります。依頼時には、あるテーマや目的について「これこれこういうことを達成させたい」とか「あそこまで前進したいんだ」とうかがっていても、Wお身体Wを見るともうキュウキュウとしていて。

 『この組織のほぐすべきところはこの辺だな』というのは、部屋に入って10分もすればわかる。議題を論じているようで、実はみんな関係性の紡ぎ直しを試みているんです。目的や数字の話をしながらも、実はこっちの人とこっちの人の間のしこりをなんとかしたいんだなといった具合や関係性が見えてくる。そしてそのしこりが解消されると「初めてあの人が言っていることがわかりました」と、相手の話も理解出来るようになったりして。

 そんなシーンはたくさん見てきたと思います。僕は会議の時間の約半分は、感情を扱っている感じがする。エネルギーの変化を見ているんですよね。

 始めて2年目の頃に、東北のある町の商店街から会議進行を頼まれたことがあるんです。近くにジャスコのような大型店が出来て、売上げはどんどん落ちるし人も歩かないと。集まっても「もう駄目だ」と暗い話ばかり。お通夜のような会議を何回かくり返して、これではいかんと事務局の人が思い。「なんか東京に会議の進行役をしてくれる人がいるみたいだ」「コンサルタントと違って安いらしい」「試してみてもいいんでねえか」みたいな流れで、「あんのぉ」と電話がかかってきた。「会議の進行役してくれるんだっぺか」と。方言がきつくてほとんどわからなかったけど、「はい行きます」「集中して話し合える会議室を押さえておいてください」と答えました。かけ出しの自分を遠くから呼んでいただけたことが、まず嬉しくて。

 で、着いてみたら「20人くらい入れる部屋は商店街だとここしかありません」「いちばんいい部屋です」と通されたのがカラオケ屋の2階の大ホール。銀のミラーボールがキラキラ光っていて。

 「すみません。これ止まりませんか?」と訊いてみたけど、「なんか止まらない」と。モニターには今週のヒットチャートとか流れていて「これも止まりませんか?」と訊くけど、「止まらねぇ」という感じで。一緒にホワイトボードを運び込んで、モニターを隠すように置いて。「この商店街をどうしたら活性化出来るか、みなさんのお知恵をいただきたい」と。もうとにかく必死で、なにやったか憶えていないし、そもそも方言がきつくてわからないんですよ。「すったらほんだらわがんねぇ」とか言われて「今なんて言ったんですか?」と聞き直すことも出来ず、「そうですか」「ほかのみなさんはいかがでしょう?」みたいな感じで。

 でもちょうどある心理カウンセラーから、『内容がわからなくて疑問に思うことがあったり、あるいは同意出来なくて別の言葉に置き換えたい衝動が生まれても、いったんそれを脇に置いて、相手の言葉をそのまま全文復唱するくらいの気持ちで、存在を自分の中に入れてみることが大事』と教わった直後で。「すったらほんだらわがんねぇ」をそのまま復唱出来るような感覚がたまたまあった。相手のエネルギーを壊さずに応答するというか。

 結果としてその会議はちゃんと話し合いの場として成り立ったし、みなさんなんだか満足気に帰っていって。「ファシリテーターが100%内容を理解していなくても、話し合いは成立するんだ」ということを知った。商店街の人たちからはときどき連絡をいただいて、数年後にまた呼んでいただく機会もあって。

 これはほんの一例ですけど、ファシリテーターの知識不足や、不十分な理解を解消するために時間を使わなくていい。「本人たちが十分に意見交換できる状態をつくり出せているならそれで良いんだな」ということを、僕は数多くの会議の現場で確認してきたと思います。このときも商店街活性化の本とかいっぱい読んで、勉強して行ったんですよね。当時はまだ、テーマや内容に詳しくなければ会議の進行役は出来ないと思っていたので。

 でも決してそうではないんだなと。少なくとも僕というファシリテーターが担うべきは内容ではなくて、そこに集う人々のW感情WやW関係性WやW場のエネルギーWなんです。それが次第にはっきりしてゆく中で、僕はどんな分野のどんな話し合いでも、自分がまったく知らないし経験していないことがその会議のテーマであっても、ファシリテート出来るようになっていったんです。