本文へジャンプ

Open Middleware Report Web

Hitachi

 雨も上がって、妹が黄色い長靴を鳴らしながら帰ってくる。ちいさな拳を無言で突き出し、得意げな笑みを浮かべてゆっくりひらく。手のひらに硝子細工のように潤う何かが現れて、妹の鼻息に触れ寒天のようにふよふよ震える。

 「みどるさん」と妹は言い、「そうだね」と兄は応える。「捨ててきなさい」と続いた兄の言葉に、妹は口をヘの字に曲げる。「元いたところに返してきなさい」

 「いや」と応える妹の緊張が伝わったのか、みどるさんは「ト」の字の形に身を固くする。

 みどるさんは、「と」の字に似ている。それとも「ス」。あるいは「う」みたいな形をしている。体をよじり「γ 」みたいになることもある。妹の小指ほどの大きさしかない芋虫みたいな胴体に、小さな羽がついている。「と」の字でいうと、一画目の筆が羽である。

 みどるさんは、"オペレーティングシステムとアプリケーションの間"に住んでいる。だから「と」みたいな形をしている。実際、"「オペレーティングシステム」と「アプリケーション」の間"という文章の中で、「オペレーティングシステム」という文字列と、「アプリケーション」という文字列の間にあるのは「と」なのだから自然そうなる。だから当然、みどるさんは、」という文字列と、「?みたいな姿になってしまっていることもある。

 「オペレーティングシステム」と呼ばれる地面と、「アプリケーション」と呼ばれる空の間がみどるさんの棲家である。ちいさな羽を器用に動かし、ぱたぱた気儘に飛んでいる。天地をつなぐ便利屋さんだ。

 「あけますか」

 天地の創造される朝、神様は傍らのエンジニアに問い、エンジニアは従った。神様の問いとはつまり、遠まわしな命令だから、従わないと減給される。かくして天と地はひらかれたのだが、若干ひらきすぎたきらいがあって、みどるさんはそうして生まれた。

 窓の外では何かのタスクを終えようとする雲の間から光が帯状に差し込んでいる。薄明光線、天使の梯子、レンブラント光線、ヤコブの梯子。いろいろに呼ばれる光芒をめぐり、膨大な数のみどるさんたちは螺旋をつくり、のぼりくだりに忙しい。

 「返してきなさい」そう繰り返す兄に妹は拳を握り、首を振る。みどるさんがちいさく細く、きう、と鳴く。「あの雲型のタスクが晴れるまでにその子を空に戻せなかったら、僕たちはバグとみなされるんだよ。怒られるんだ。消されちゃうんだ」

 「誰に」と妹は小首を傾げる。「人間にだよ」と兄は応える。それが一体何者なのか、ほんとのところ兄も知らない。

 山のあなたの空遠く、「人間」住むとオペレーティングシステムはいう。山のあなたになお遠く、人間はまだ生き残っているのかしらと兄が考えるうち、正方形の太陽が雲を払って輝きはじめた。