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〈野生の研究者〉をもとめて

江渡浩一郎

 「ニコニコ学会β」はまさしく「利用者参加型」の研究の仕組みだが、その重要なキーワードは〈野生の研究者〉である。

 「そこにいたるまでには、かなり紆余曲折があったんです。いちばん最初は「ニコニコ動画にかんする研究」、あるいは「ニコニコ動画をつかった研究」などにかんするカンファレンスにしようかという案が出ていたけれど、それだと狭いなと感じた。むしろもっと突拍子もないことをやりたかったので、テーマを無限定にしたんです。

 プロが自分の仕事としてしている研究というのではなくて、自分はプロではないんだけれど、やむにやまれぬ衝動で自分自身の研究をしてしまうということがある。それをテーマにした研究の学会にすればいい、という風に軸を90度変えて考えた。研究テーマが何であるかは関係なく、「研究に対するスタンス」がどんな風かということで切った学会にしよう、ということで提案した。そういうアマチュアの研究者のことを、〈野生の研究者〉と呼んでるんです」

 「ニコニコ学会β」の参加者は公募によっているが、〈野生の研究者〉とは、たんに大学や企業の外にいる「在野の研究者」という意味ではない。どこに所属していようが、自らのなかに動機づけをもち、「やむにやまれぬ衝動で自分自身の研究をしてしまう」人のことだ。

 〈野生の研究者〉という言葉は、2009年に亡くなった文化人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』から採られているが、この定義からもうひとつ私が連想したのは、「アウトサイダー・アート」と呼ばれる芸術ジャンルのことだ。とくにアーティストと名乗っているわけでもない無名の人、正式の美術教育を受けたわけでもない人が、「やむにやまれぬ衝動」によって生み出した作品が、ある偶然によって見出され、プロの芸術家の作品を遥かに凌駕する衝撃力をもつことがある。

 江渡さんのなかでの、「アーティストであること」と「研究者であること」のつながりも、そう考えてみるとよくわかる。レオナルド・ダ・ヴィンチの名を挙げるまでもなく、近代以前にはアートと研究は切り離せないものだった。〈野生の研究者〉は、アウトサイダー・アーティストの「研究者」版ともいえる。

 「学会や大学がいまのように硬い形式になったきっかけは、世界大戦なんだと思ってます。軍事研究に必要な予算を適切に振り分けるには、研究に対する明快な評価や、「学問であるもの」と「学問でないもの」の境目を明快にする必要があった。そのために象牙の塔がつくられ、秘密主義になってしまった、というのが僕の解釈なんです。でも、大学や「学会」というものが、もともとそうであったわけではない。大学の発祥はカフェだったという話があるんです。学者があつまって議論するカフェのような場所が発展して、のちの大学ができた。だったらそれを自分たちでつくればいい。「ニコニコ学会β」も、そういうイメージなんですよ」

 「学会」のそうした本来の姿を取り戻すため、「ニコニコ学会β」を発案し、実現してしまった江渡浩一郎という人自身が、誰よりも〈野生の研究者〉なのかもしれない。

 

江渡浩一郎 ETO,Koichiro

メディア・アーティスト
独立行政法人産業技術総合研究所 研究員

1991年、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の2期生として入学。学部生時代にファミコン向け対戦型格闘ゲーム「ジョイメカファイト」の開発に参加。3年次に、藤幡正樹研究室にて、メディア・アートの制作を始める。大学院進学後、Sensoriumプロジェクトに参加し、インターネット上の他の人々の Web Hopping をリアルタイムに視覚化する、Inter Web コンテンツ作品「WebHopper」を発表。その他、坂本龍一氏、岩井俊雄氏による「Music Plays Images×Images Play Music」中のパフォーマンス「RemotePiano」など、多くのメディア・アート作品を制作・発表。
大学院卒業後、国際メディア研究財団を経て産総研に就職。メーリングリストとWikiを統合したコラボレーションシステム「qwikWeb」などを開発。
現在、産総研で「利用者参画によるサービスの構築・運用」をテーマに研究を続けるかたわら、「ニコニコ学会β」の発起人/委員長も務める。
おもな著書に『パターン、Wiki、XP〜時を超えた創造の原則』(技術評論社)、『ニコニコ学会βを研究してみた』(河出書房新社)

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