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企業情報株主・投資家向け情報

1960年代
高度成長と共に豊かな社会への貢献

1960年

家庭用テレビ「スザンナ」が30万台の業界記録

家庭用テレビ「スザンナ」が発売されました。「スザンナ」は、1機種で30万台を売る業界記録を打ち立てました。(写真は、横浜工場で量産される「スザンナ」)

1961年

日立の原子の灯がともる

川崎市麻生区王禅寺にある現在の王禅寺センタ。1961年12月25日午後7時25分、この地で「日立の原子の灯」がともりました。「原子力研究のために自前で原子炉をつくろう」とこの地に中央研究所を中心に小型の日立教育訓練用原子炉(HTR)を建設しました。これが、実質的に国産炉第一号でした。HTRは、各種実験を通じて日立の技術力向上を促進し、1968年には東京大学医学部に協力して、日本初の脳腫瘍のガンマ線治療が行なわれました。(1975年に運転終了・現在廃止措置中)

1964年

夢の高速鉄道「新幹線車両」の開発へ参画

1964年、東京オリンピックに合わせて東海道新幹線が開業しましたが、日立製作所は、新幹線車両の試作開発から参画しました。主制御器、自動列車制御装置(ATC)などの電気品は水戸工場が担当し、1970年までに笠戸工場で212両が製作されました。写真は、笠戸工場の専用岸壁から船積みされる新幹線車両。

1964年

難工事、短い工期を乗り越えた、「東京モノレール」事業

1964年に開業した東京モノレールは、工期が短いうえに海上部分や海底トンネルなどの難工事があるため引き受け手がなく、日立が一括して工事を請け負うことになりました。
ようやく開業にこぎつけたものの、オリンピックが終わると乗客数は一気に落ち込みました。その後、1967年に日立運輸、西部日立運輸と合併し、日立運輸東京モノレールとして再発足。経営を救ったのは、羽田に向かう道路の交通渋滞でした。速くて時間に正確なモノレールは見直され、沿線開発も進んで乗客数も伸びて行きました。現在はJR東日本に譲渡しています。

1965年

純国産技術による初の油圧ショベルUH03が完成

1965年に日立は、国産技術によるバケット容量0.3m3の油圧ショベルUH03を完成させました。その後、1970年に日立建機が発足し、高層化する都市開発や国土開発で大きな役割を果たしました。

斬新な広告手法で話題を呼んだ「キドカラ―号」

日立は、画期的なカラ―テレビをアピールするために、1968年に世界に3機しかなかった飛行船をチャーター、日本の大空を「キドカラ―号」が飛びました。
  • 1950年代

    産業と社会インフラの充実に貢献

  • 1970年代

    成長を担うエレクトロニクス事業の開花