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企業情報株主・投資家向け情報

1950年代
産業と社会インフラの充実に貢献

1951年

「和」の大切さを伝えた、「以和為貴」

1951年に戦後の公職追放を解除された小平浪平は、日立工場を訪れて「以和為貴」と記しました。GHQによる日立解体の動きをただ見守るしかなかった小平は、倉田社長以下の努力で危機を回避したことを喜び、日立創業の精神のひとつである「和」の大切さを改めて社員に伝えました。

1957年

通天閣に日立の「広告」

大阪ミナミのシンボル通天閣は2代目になります。1912年に建設された初代は戦時中に焼失。そこで地元商店街が出資して1956年に二代目が完成しました。当時、関西家電メーカーに比べて家電製品の認知度が低かった日立は、この建設費の支援と引き換えに広告使用権を獲得し、ネオン広告を始めました。

  • 1940年代

    戦争、そして終戦、瓦礫からの再出発

  • 1960年代

    高度成長と共に豊かな社会への貢献