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企業情報株主・投資家向け情報

1930年代
業容を拡大し、総合電機企業に躍進

1930年

恐慌の危機を救った「水電解槽設備」

大正末年から昭和にかけて深刻な不況が広がりつつありました。1928年上期に空前の業績をあげた日立も、下期になると一転受注が激減しました。救世主となったのは、「水電解槽」の製作でした。昭和肥料(現・昭和電工)の構想を聞きつけ、計画初期から参加しました。しかし、日立はまさに社運を懸けて決断し、水電解槽2,500台と直流電流を供給する6,000kw回転変流機10台などを受注しました。
水電解槽は、1930年8月に試作品4台が完成、翌年6月までに完納しました。この水電解槽技術は、食糧難の戦後の肥料増産に大きく貢献しました。

1934年

東京証券取引所に上場

1934年に東京証券取引所に上場しました。日立製作所の株主は、1937年に1万人を超え、1945年には6万人及びました。こうした大衆資本に支えられてきたことが、戦後の解体危機をまぬがれることにつながりました。(写真は、当時の日立製作所本社)

1936年

ディーゼルバス&トラックを自社開発

亀戸工場は、1931年に4気筒60馬力ディーゼルエンジンを完成し、スミダ自動車に搭載されました。1936年にはディーゼルバスとトラックを自社開発し、日比谷公園で開催された自動車展に出品しました。当時、国産ディーゼルバスで75%のシェアを誇りました。
写真のディーゼルバス第一号は、亀戸工場と亀有工場を結ぶ定期バスに利用されていました。

  • 1920年代

    電気機関車から扇風機まで、そして海外へ

  • 1940年代

    戦争、そして終戦、瓦礫からの再出発